【前回の記事を読む】【小説】クライアントの無理解に渦巻く腹立たしさ、怨念。反論できないのがフリーの立場…

鶸色のすみか

ウェブも紙媒体も入れ替わりの激しい世界だ。どんな業界も、もぐらたたきのように浮いたり沈んだりだが、新しい分野にチャレンジするという気持ちは月子にはない。一旦決めた身の置きどころさえ、自分自身の思惑だけではどうにもならない。

かつて印刷に欠かすことのできなかった写植職人だって、パソコンというイノベーションによって絶滅危惧種になった。そして、今は紙媒体からウェブコンテンツへ、そして動画へ。

でも、その危機感が月子にも実感されないのは、結局、打ち合わせから納品まで一切紙に触れることなくパソコン一つで完結できるという世界にいるからだろう。

だが、世の中の流れが変わっても、絶滅危惧種だとしても、月子は紙媒体のデザインワークが好きだ。自分一人で生きていく糧なら何とかなるだろうと思うのだ。

何歳までできるかなんてわからない。でも生きている限りこの仕事をやっていたいという思いがある。職人とはそういうものだろう。この小さな世界で生き残ることができればいいじゃないか。

最初に勤めた広告代理店で、初めてデザインを任された大手塾の看板を駅ホームで偶然目にした時、不思議な高揚感があった。たとえ、地震が起きても自分が立っている場所だけは安全と思えた。

社会とか、経済とかにわずかでも自分が関わっている実感があり明るい未来が見える気がした。でも仕事との蜜月はすぐに消滅し、クライアントの僕(しもべ)となって、ひたすら自分のセンスやアイデアを消耗する日々が続いた。

アイデアが降りてこないと煮詰まって、頭から仕事が離れない。パソコンの前に長時間張り付いて仕上げても、いとも簡単にできたようにしか見えない。