デザインは、クライアントの審美眼なのか価値観なのか、企業的戦略か、その一つに合致すればいいのか。だが、そのデザインは正解なのか。

見た人になんの違和感なくすっと溶け込んで、でもじわっと何か残るようなデザイン。自分が目指すところと、望まれるものとのすれ違いは永遠だ。

元夫と知り合ったのは最初のデザイン会社だった。広告プロデューサーという肩書きの要するに営業職だ。社交的で人望もあった。四十になるまでに独立して自分の会社を立ち上げると意気揚々だった。

夢をともに叶える人生のパートナーだと信じて結婚した。だから、期待に応えるべくスキルアップにも励んだし、激務にも耐えた。

夫は先に会社を辞めて事務所を開業したが、数社のクライアントを持ち逃げしたと社長が激怒し、訴訟寸前にまでトラブルが発展した。月子も辞めざるを得なかった。

夫のモラルのなさにも呆れたし、その後も自分の事業の成功を最優先し、ないがしろにされたことがどうしても許せなかった。

今、孤独と引き換えに何でも自分の采配で決められる自由はあるけれど、あの頃の自分とどこが違うのだろう。

月子は心配事のタネ探しをやめて、パソコンの前で大きな伸びをした。ネットニュースをチェックすると、家を焼いて両親を殺そうとした四十代の男が逮捕されていた。同じ画面のすぐ横に、それとは何の関係もないダイエット商品の広告がチカチカ動いて目障りだ。

昨晩インスタグラムでサプリメントの広告を不用意に閲覧してしまったから? どこかに自分の知らない情報の回路があるのか、それとも誰かが見張ってる?

新しい案件もメールで入ってきて、月子は連休までにすべて納品すべく、規則正しい生活を組み立てて、制作に励むことにした。