日が傾く頃に、庭先で早い夕食を食べるのが日課になりました。やはり、移住した仲間たちが庭にやってきて、情報交換の場になりつつあります。まだ残暑が厳しい頃ですが、朝晩は涼しくなってきました。
秋も深まれば、もう姿を消してしまう仲間もいます。
自然環境が良くなれば昆虫が増加し、そうなれば小動物が集まります。人間の目線でゆったりと眺めている里山の風景も、目線を昆虫レベルにすれば、静かなる緊張感で生き残りの戦いが繰り広げられています。
ぎんちゃんにしてみれば、ここは都会よりもっと生存競争の激しい土地なのかもしれないと心を痛めているのです。
生態系の食物連鎖を否定などできません。だけど、この生存競争を観ていると、ぎんちゃんは、人間と他の生き物たちの間の関係性は、平等ではないと思うようになりました。
一方的に搾取する今の食糧事情に心が痛みます。
そして、どうしても仏教の不殺生戒(ふせっしょうかい)という言葉が頭をよぎります。仏教では、本来殺生はいけないとしますが、現代では感謝して食することを説いています。ぎんちゃんは、生き物の命の尊さを理解できる人間ですが、感謝の気持ちで必要な量だけを頂くことしかできないのが現状と悩んでいます。
その一 移住仲間たちとの夕食会
黒猫さんと三毛猫さんは、この裏山を駆け巡り、日に日に逞しくなってきています。
ある日の夕暮れに、ぎんちゃんが、お酒を飲みながら庭でいつものように寛いでいると、黒猫さんと三毛猫さんが、捕獲したネズミを自慢するように持って来て、ぎんちゃんの目の前でムシャムシャと食い始めます。これにはぎんちゃんも顔をしかめます。
そんなぎんちゃんを見て、黒猫さんが言い放ちます。
「ぎんちゃんは嬉しくないのかい。三毛猫さんがすっかり飼い猫から脱皮して、逞しく自立した猫になれたんだよ。もっと褒めておくれよ」
ぎんちゃんは分かっていますが、血の滴るネズミを見ながら、立派になったねと言うのを少々躊躇しています。三毛猫さんは、全く気にもせずむさぼり食っています。
変われば変わるものです。何も言えないぎんちゃんと、二匹の猫さんの間に沈黙の間が過ぎます。
ぎんちゃんは、これでいいんだと心の中で呟きます。これが本来の生き方なのだろう。
眼が真剣そのものだし、生きているという精気が三毛猫さんに戻ったようです。またぎんちゃんは呟きます、「これでいいんだ」と。