その本によれば、英語を喋る環境に自分を置くのがベストであるということで、本の終わりの方に幾つかの留学制度団体が挙げられていた。その中で、今の自分に最も適しているのではないかと思われたアメリカのミシガン州に本部を持つYouth for Understanding Exchange Program(YFU)を見つけだし、応募した。
幸運にも私は、書類選考と面接試験に受かることができ、14人の他の日本人留学生と共に、アメリカで1年間の留学生活を送ることになった。私の両親は、私の教育に関して細かいことでとやかく言うことはなかったが、常に大きな夢を持ち、それに向かって進む努力をすることが大切だと教えてくれた。
ということで私の両親は、私のアメリカ留学も、外交官になりたいという大きな夢を叶える為の一過程であるとして理解を示してくれたのだと思う。
私が交換留学生としてアメリカへ発つ1か月程前、アメリカ人の女の子が交換留学生として家にやってきた。YFUの日本人交換留学生のアメリカ滞在期間は1年間だが、アメリカ人交換留学生の日本での滞在期間は1か月余りである。
家に来た子の名前は、ジャネット・スチーブンソン(仮名)17才。彼女はミシガン州サギナウ市(ミシガン州中東部に位置する町)の出身。
私の家族は、言葉がうまく通じない環境の中でアメリカ人の女の子をどのように「接待」したらよいのか悩んだ。ジャネットが家に来た最初の日の夕ご飯は、料理上手の義姉が腕を奮って「すき焼き」を作った。
家族全員がすき焼き鍋を囲んで食卓に着き、ジャネットに肉やネギやしらたきは、食べる前に手前に置いてある溶き卵に浸してから食べるのだと身振り手振りで説明すると、ジャネットは明らかに気分がすぐれないといった様子になり折角のすき焼きに手をつけなかった。
後で分かったことだが、アメリカ人は一般に生卵を食さない。サルモネラ菌の感染を恐れてのことだ。
ジャネットは、彼女が通っているサギナウ・ハイスクールから託された、アメリカ合衆国の国旗である星条旗を持ってきた。その星条旗を私が通っている川越女子高等学校に寄贈したいと言うのだ。
その時学校は夏休みに入ってしまっていたので、詳細は覚えていないが、学校の体育館で元担任にその国旗を渡すことになった。かなり大きいサイズに見えたので広げて見ようと旗の一辺をつかむと反対側の部分が体育館の床に触れた。
その瞬間、ジャネットが「あ、ダメダメ」と叫んだ。私を含むそこにいた人達は、ジャネットが何故怒っているのかが分からなかった。