第2章 父と母のこと

母、姜外善カンウェソンのこと

彼女は韓国から日本に来ても、決して韓国から来たほかの韓国人と同じように髪形をパーマしたりしませんでした。髪は長いまま毎日その髪をすいて、椿油をつけきちっと後ろで髷を作った韓国風髪型にずっとしていました。

白髪が出ると長い髪をちゃんと染めたので、黒々としていました。ですから、彼女を見たらすぐに韓国から来た女性だとわかります。

私が東京で働いていた時、彼女が東京に来て一緒にタクシーに乗ったら、運転手に「韓国から来たのですね」と話しかけられました。どうしてわかるのかと聞くと、彼のお母さんも韓国人だったので懐かしかった、と言っていました。

母は自分が韓国人であることを決して隠しません。ですから、私達子供達も、自分は韓国から来た人間であることを隠すことはありませんでした。

また、我が家はお陰様で経済的にも近所の日本人より裕福でもあり、また、子供達の成績も良かったのです。ですから、近くの友達から偏見や差別はあまり受けたことはありませんでした。

私は一回、中学校の時クラスの中で、答案をもらいに行く時、ある男の子から「朝鮮人」と大声で言われたことがあります。私は彼に「日本人」と言い返しました。そうです、私は朝鮮人ですから。

残念なことに、日本は人権教育が全然できておりませんでした。人を差別したり偏見を持ったりするのはどうしてでしょうか。この地球上でなかなかこの問題は難しい問題です。

そういえば中学の時、社会の先生が「このクラスで永住権を持っている人はいるかな」と唐突に話しました。私は「はい」と手を挙げました。

なぜ彼がこんな質問をしたのかわかりません。ただ私が日本人と違うことをみんなの前で表明させることだったのかもしれません。その後永住権について説明はありませんでした。

私は彼の授業の目的が何だったのか疑問に思いますが、私はそれはそれでよかったと思いました。クラスのみんなに日本人でないことが伝わったからです。

今まで母について書いていて、一つの出来事を思い出しました。母が私を連れて韓国へ行った時のことです。

当時、私には前からお付き合いをしていた人がおり、その人とのことで悶々としていました。そんな時に、母は私と一緒に韓国へ行きたいと言い出したのです。

私は最初拒んだのですが、母は「自分はお前と行かなくては韓国に行けない」と強引だったのでしぶしぶ同行しました。

しかし後になって考えてみると、母は私の心情を理解していたのではないかと気づきました。私と母は、生活していた距離は離れていました。それでも彼女は私の心情を理解して、今私の環境を変えないといけないと直感したのでしょう。