休みの日に私の部屋を訪ねた友人は私が日本の野鳥の鳴き声テープを聴いているのに驚き、次の日から私のあだ名を野鳥と決めた。それが転じてやちよになり、友人のお母さんなどは私の本名がやちよだと思っている人もいるらしい。
当時の私は、尊敬する人は根深誠(ルポライター・登山家)、北海道に行くのなら、東大演習林で森林学者のドロ亀さん(高橋延清教授)の教えを受けたい、と思うような人間だった。
しかし、私は自分が特別変わった趣味の持ち主とは思っていなかった。
友人たちの趣味も変わっていたからだ。
歌舞伎が好きな友人、大相撲が好きな友人、聖飢魔Ⅱが好きな友人、みんなそれぞれ個性的な趣味を持っていた。
クラスのおしゃれなグループの女子からは、「○○と愉快な仲間たち」とまるでムツゴロウ動物王国のように呼ばれ、毛色の変わったやつらだと思われていたようだった。
その中で自然が好きなのは私だけだったが、学校の行き帰りは聖飢魔Ⅱが好きな友人二人と時間をともにした。
困ったのは登下校中の会話である。聖飢魔Ⅱの話題に全くついていけないのだ。私はあだ名は野鳥だったが、孤高の鳥ではない。普通に、友達と和気あいあい話をしながら帰る女子高生として存在したかった。
しかし、それができない。
孤独感にさいなまれた私は、友人からまるで興味のない聖飢魔ⅡのCDを借りることにした。彼女たちの会話についていくために。
自宅の部屋で聴いたその曲は衝撃だった。
私が好きな岡村孝子や、大貫妙子とは、まるで真逆の世界観。
聴いていて、暗い気持ちになる暗黒の歌。
それでも、私は友人関係を良好にするために『蝋人形の館』を繰り返し聴いた。
そして、日々は平凡に過ぎていき、進学を決める高校三年。
自然が好きだった私は、自然のことが学べる専門学校に行こうと思った。勉強はあまりできるほうではない。
その自然学校は尊敬するC・W・ニコルさんが関わっている学校だった。友人も「あんたにぴったりだ」と応援してくれた。
しかし、専門学校はお金がかかる。入学金の値段を見てすぐにあきらめた。うちにそんなお金はない。
なんとか私でも行ける公立の大学はないものか。大学なら、長野の大学がよかった。私好みの森や川がたくさんあるところだからだ。しかし、それも成績を理由に断念せざるを得なかった。担任には「自分の成績をよく見てみなさい」と言われた。
しかしそんな中、進路指導の先生が「山梨の市立大学なら論文テストによる推薦ができる」と言ってきた。
成績はふるわないものの、本の虫だったせいか、論文だけは成績の良かった私に声をかけてくださったのだ。
山梨は良い。長野の隣ではないか。植生も似ているだろう。そこでいい。そんな理由で進学先を決めた。