第一部 認知症になった母の人生
第1章 母の人生について認知症前まで
転換点としての2012年
妻がこんな話をしていた記憶があります。
「ばあば、つじつまの合わないことをいうの」
シンク下の扉を開けると、家庭用洗剤やスポンジ、たわしが大量に入っている。不思議に思った妻は母に
「これどうしたの」
と聞くと
「近所に親切な方がいて、一人暮らしは大変だからと言って届けてくれるのよ」。
妻はまず、いつも親切にしてくれているお隣の方に聞いてみます。そうすると「いいえ」と。他にもつじつまの合わない話がどんどん。
妻は、前から少し状態が変だなとは気づいていたのですが「『認知症であってほしくない』という気持ちもあり、認識を遅らせてしまった」注1 と後日いっていました。悔やんでいました。本人も不安だったのでしょう。こんな言葉をメモしていました。これは覚和歌子さんの詩です。それをノートに書き留めていました。不安だったのだろうなと思います。
このようないくつかの事態があり、妻は地域包括支援センターに相談しますが、「元気じゃないですか」とあしらわれ、かかりつけ医からも「元気だよね。ぼけてなんかいない」と言われたそうです。
しかし、そばにいた看護師が状態の違和を感じ、妻に適切なアドバイスをしてくれたということでした。ここから大きく状況は変化していきます。
第1章「母の人生について 認知症前まで」のまとめ
苦労が多かった母の人生ですが、結婚後ふたりの子どもに恵まれて子どもを中心とした幸福な家庭を築きました。この中で長女(妻)は、ずっと母のキーパーソン(大切な役割を担うひと)でした。母は1995年以降、独居になりますが、地域との良い関係もあり、安定的な生活を送ることができました。
しかし、2012年以降に認知症の症状が現れ始めても家族はそれを認知症と認めることに躊躇し、福祉や医療の関係者すら、「変動が大きい状態(状態がいい時と、悪い時の差が大きい)」があるので認知症と判断しにくいという事もあり、それゆえに支援(サービス)につながることが遅れる結果になりました。キューブラロス注2 は「死の受容過程」について説いていますが、それを思い出します。
2012年以降、状況は大きく変わり、認知症のケアが生活課題になります。