第一部 認知症になった母の人生

第1章 母の人生について認知症前まで

『親が子どもに』「子どもが親に」もありだな

同居が始まってから母が困難を訴えることがいくつかありました。そのとき、娘(妻)は母のベッドに腰を下ろし、母の話を、丁寧に時間をかけて聞いていました。落ち着きがなくなっていた母がその腰掛けて並ぶ対話の後、また元気を取り戻していました。それはまるで迷子になって不安になった子どもをしっかりと抱きしめる母の姿でした。

そうはいいながらも、母はどこかで娘をライバル視していることもあり、娘のたいしたことのない失敗も「喜ぶ」こともありました。例えば、家族で旅行の折、妻が自室が分からず、迷子になった時に「娘が迷子になった」とたいそう喜んでいました。

娘は何でもできる女性だという意識もあり、ある意味「ライバル視」していたのかもしれません。これが母のかわいいところなのですが。今振り返るとこの母娘の形がしっかりと築かれていたからこそ、これから述べる娘からの介護を、母は受け止められたのではないかとさえ私は思います。

娘が母の話を聞くという一見すると「立場の逆転」はきっと子どもの頃に築きあげられたことであったのだろうし、この「逆転」があったからこそ人生の最終盤の困難を乗り越えることができたのかもしれません。大事なことは共感注1 または共感的理解ではないかと……。ふたりを見ていて感じました。

妻の『この二つ=立場の逆転と共感』があったからこそ、この困難な介護と同居に向き合えたのかもしれません。