三十七

長期の休みも残り一日となった。

歯医者に行き、抜いた歯の状態をみてもらい、アトリエに来たのだった。抜けた状態で放置し、半年後再び治療なのだそうで、抜けたまま半年も過ごさなければならない。

一本歯が欠けただけで、不自由なもので、食べるたびに欠けたところに物が当たりドキリとする。歯一本でこれなのだから、腕を失った父の苦しさ、はがゆさは特段のものではなかったか。

アトリエに向かう車中でラジオを聞いていたら、ある音楽家がインタビューされていて、その人が、ごちゃごちゃやった作品はだいたいよくない。でも、パッとスッと出来上がってしまった作品ほど、佳作が多いんだと。

やっぱり、と思った。その方は作曲家であるが、美術においても修作は同じことを何度も体験している。なぜだろう。我々が介在して創られたけれど、その佳作は、すでにそこにあって、我々に見つけられることを待っているだけではなかったか。

発見されていないだけで、すでにそこにそれはあって、いろいろなタイミングがその一瞬に凝縮した結果、そこに介在する我々の発見によってその作品が現れ姿を見せたような………うまく言えぬが、それもあきらめずに、その道を歩くものだけに訪れる僥倖なのかもしれない。それは芸術の神秘に触れた瞬間でもあるような。

けがれなき王女のためのレクイエム

言わずもがな

旅に持っていくのは

非日常への渇望と

自己消滅への限りない希求があればいい

すべてを絶ち

芸道に励み

残り少なき奇跡を追う

陽ぐれて遊ぶ子の

においたつほこりと汗

甘くなつかし

にがくかなし

闇の中に刃物のように光る線路の上を歩いていた。まるでその行為が惨めさの象徴のような気分で。

修作はどこかへ消えたがっていた。いつでも、ここではないどこかばかり求めて。消滅することは、それが元いたところへ還っただけのことなのだ。今が束の間、かりそめの世、現世に姿を現しただけと修作はまだ知らない。
 

【前回の記事を読む】美術大学の学園祭。光のようなオーラをまとう女性に恋をした。