三十八

保険証と診察券をなくした。サイフに入れたつもりだった。

アトリエに来る前にコンビニにより、買い物をして、支払いをするためサイフを出して、両方ともサイフに入っていないことに修作は気づいた。診察券はともかく、保険証をなくすということはよくない。

今年は占い的には強運の年回りだそうだが、これで⁉ と言いたくなってしまう。正月早々保険証をなくすなんて………気がゆるんでいるとしか思えない。自分が悪い。

悪用されないことを祈るばかりで何もできずにいる。歯医者に電話し、忘れていないか確認し、なければ市役所で再発行してもらう。当面考えつくのはそれ位か。ずっとサイフに入れたとばかり思い込んでいたから、そこにないとなると、修作にはもう全く見当がつかない。

初詣の翌日に大ちょんぼ。どうかしてる。

三十九

針を打つと喉がやけに渇く。

ベッドにパンツ一枚となり、しきり壁に向かって横臥する修作の肉体に、鍼灸師が針を刺していく。毎回修作は刺さる刺さると思ってドキドキする。先生の手が修作の腹側へとまわりこみ、ヘソの近くに刺している。

やがて心臓へとそれが移行し、心臓めがけて針を差し込まれたらと考えて鼓動がさらに早くなる。先生の手は腹部から足へと移行し、心臓を刺し貫かれたりはしない。しないが、無防備にごろんと投げ出した棒の躰は先生の思うがままだ。

少し長い針を、あるいは少しの刺しではなくて、針の根元まで刺しこまれたらひとたまりもない。それが先生にはやすやすとやろうと思えばできる。そう考えるとなんだか恐ろしい。

頭にも腹にも足にも腕にも腰にも躰中に針を刺されて横臥した状態で、それらの針に電流が流されると、なぜか足だけがピクッ、ピクッ、と跳ねる。電流が流れている証拠でもある。

その姿を俯瞰したところから見下ろすなら、なんとも痛ましいというよりも、トドが寝そべりだだをこねているような図ではないか。かれこれ二年目になるから、修作は先生にまかせきりである。言われるまま、姿勢や位置を横向きからうつ伏せへと変えては、各部へ針をブサァー、ブサァー、と刺されていく。

先生は先生で皮膚に印でもつけてあるのかと思うほどに、ためらいがない。終わると名残惜しいような、一抹の郷愁が滲み出るが、一方で、躰の幾分軽くなったトドは、つるんと、重くるしかった皮膚の着ぐるみを脱いだような気分に、思わずニタリと微笑してしまう。

診察室を出て、会計を済まし、次の予約を終えて駐車場へと向かう頃には、背中に巣をつくった骨がつくる鳥の嘴は、もうその存在を誇示するかのように、さえずりはじめる。しばらくしてのち、トイレに行くと濃縮したまっ黄色いシッコが、毒素を吐き出すように出る。

父の自暴自棄は修作のものでもあった。母から夫をうばい、妹から父親をうばったのだ。

両耳に指を入れると、あたかもマグマが煮えたぎるような音が、内側から聞こえてくる。これは人間が生きている活動の細胞のひとつひとつの激しく生命を燃やしている音なんだ、と。