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第一章 新しい家族
引っ越し
千恵姉ちゃんはアルバイトがない日は必ず、学校に払うお金のことや、困っていることや必要な物はないかとしつこいくらいに僕たちに訊いた。
朝起きるとそれぞれの机の上に新しい筆箱や、バッグに着けるストラップや、靴下やハンカチ、色違いの長袖シャツが二枚置いてあったこともある。「欲しい」と言った覚えがないものがほとんどで、おかげで文房具はみんなが持っているものはいつもあったし、着るものもたいてい新しくてきれいなものばかりだった。
由美は、お姉ちゃんに髪の毛をとかしてもらっていろんな髪型にしてもらい、かわいい服を着せてもらっていた。両親がいた頃、欲しいと言ってもなかなか買ってくれないのが普通だったから、お金持ちの子どもになったみたいだった。
学校では花井先生が気を遣ってくれたし、光君と裕ちゃん以外にも、同級生がいつも周りにいてくれた。だから僕がみんなに気を遣って、ギャグを言ったりして、陽気に振る舞った。学校で寂しさを表に出す暇なんてなかった。
クリスマスには、お祖父ちゃんもいて、大きなケーキとプレゼントをもらい、由美ははしゃぎまくっていた。喪中だったから、お正月は小さなおせち料理の詰め合わせとお雑煮だけだったけど、お祖父ちゃんも一緒にみんなでお墓参りに行き、マリンタワーと中華街に連れていってもらった。
そばにいる昭二兄ちゃんが大声で笑い、千恵姉ちゃんが嬉しそうな顔をしているのを見て、いつの間にか僕も自然に笑えるようになっていた。
でも僕は、ひとりのときには時々事故の日のことを思い出した。お姉ちゃんはお葬式のときに僕が話したことを二度と言わなかったけど、たぶんお兄ちゃんもお祖父ちゃんも話を聞いていたと思う。
おばあちゃんは、三月の中頃にやっと退院して、一緒に暮らすようになったけど、退院してからも、リハビリで病院へ通った。病院へ行くときにはお祖父ちゃんがお店から迎えに来て連れていってたらしい。
おばあちゃんは退院して一緒に暮らすようになっても、前のように優しく話しかけてくるおばあちゃんではなくて、あまりしゃべらなかった。おばあちゃんは事故で頭も打ったからと何度も聞かされていた。おばあちゃんは、体を動かすと足や胸が痛いみたいで、眉間にしわを寄せた。普段は畳の部屋で低い椅子に座ってテレビを見ていることが多かった。