第一章  ギャッパーたち

(一)畑山耕作

ある日、畑山は、車の中で生活している男を発見した。

普通の乗用車なのに、後部座席にも助手席にも生活用品が置かれている。洗濯物まで干してある。

これ自体は違法ではないが、水はどうしているのかと聞くと、公園で入手していると言う。これはもともと自由に使用できるし、損害も寡少なので犯罪とはいいがたい。ただ、電気は車からでなく、もし電柱や、コンビニの駐車場のコンセント等から取っていればこれは電気窃盗になる。

家賃も払えず、家族もいない者がこのような生活をするようになるのも、現代の一つの社会現象といえるのかもしれない。

畑山は、人生の悲哀を感じながらも、電気窃盗にならないようにと注意してやった。その男がそこを去ったあとに、はたと思いつき、これを原始人に例えてみた。

このような者は、車の中で自給自足のような生活をして、ある意味、現代の原始人ともいえる。車におる人間、車におん人、クロマニヨン人というわけ。ちょっと苦しいし、大体が社会派のネタだから、あまり笑えない。というか、もはや、単なるオヤジギャグだ。

畑山は、これはさすがに使えないと思った。

また別の日、畑山が不審者に職務質問をしたら、何と、知り合いの芸人だった。よく見れば、確かに見たことのある顔ではあった。

芸人なんて、普通の人から見れば不審者でしかないのか、と愕然とした。

相手も畑山のことに気づかない。相手が警官だから、普段からやましいことばかりしているのか、目も合わせないし、顔も見ようともしない。同じ芸人なんて、考えもしないのである。

畑山もつい、「何やっとんねん」と突っ込みを入れてしまい、「やばいっ、ばれるか」と思うが、相手は漫才の突っ込みとは思わない。責められたと思い、余計に顔を伏せてしまう。かわいそうになり、そこで放免してやったが、何だか芸人がかわいそうに思えた畑山であった。

やっぱり芸人だけでは食べていけないから、あんなになるんだ。自分は仕事があってよかった、と改めて思ったのであるが、他方で、自分のように中途半端にやっているよりも、漫才だけで死ぬほど苦労している方が成功できるんじゃないかとも思い、漫才だけに集中できるのも羨ましかった。