第一章 ギャッパーたち
(二)天地紗津季
さっそく紗津季が駆けつけると、酒井は、
「看護師さん、お腹が痛いよ。何とかならないのかい」と言う。紗津季は、
「酒井さん。胃を取ったばかりだから、まだ痛むのは仕方ないんだけど、あんまりひどいようなら、先生に言ってもっと強い痛み止めお願いしましょうか」
「酒を飲めば治るんだよ。酒をね。酒が痛み止めになるんだよ」
「胃を切ったばかりで、そんなの駄目に決まってるでしょ」
「何で駄目なんだよ。もう手術で悪いところはなくなってんだからいいんじゃないの?」
「消化する場所がなくなってるんですよ。それに、お腹を切って縫い合わせたばかりだから、そこがまた開いたら大変でしょ」
「看護師さん、俺の名前知ってる?」
「酒井さんでしょ」
「そう。だから俺の名前から胃を取ったら酒になるんだよ。だから、酒、いいだろ?」
「何、うまいこと言ったろう、みたいな顔して。そんなこと言っても、駄目なものは駄目なんです。お酒飲んで、悪化したらどうするんですか」
「それは病院がやってくれりゃあいいことだよ。俺は、酒さえ飲めりゃあいいんだよ」
「だから、無理ですって。あんまり無理言うと、またお腹を切ることになりますよ」
そこで酒井もあきらめて、おとなしくなった。
紗津季がナースセンターに戻ると、同僚の一人が、
「また酒井さん? 困った人よね。もう相手なんてしなくていいんじゃない?」
と言う。紗津季が苦笑いしていると、看護師長が、
「何を言ってるの。どんなことを言われても、私たちはちゃんと患者さんのお世話するのが仕事なのよ。それを忘れちゃ駄目でしょ」と言うと、紗津季の同僚がすぐに反応した。
「それなら、もっとたくさんお給料もらえれば頑張れるんですけど」
「それは、院長か理事長に言うことね」
そう言われて、紗津季が肩をすくめて恐縮した表情をすると、看護師長は、
「何も、あんたに言ってるわけじゃないんだから。何、恐縮してるのよ」
紗津季はそう言われて、「てへっ」と言いながら舌を出した。