紗津季は、大阪で母と二人で暮らしている。
父は紗津季が小さいころは時々やってきて、いろいろなお土産を持ってきてくれて、とてもやさしい人だったという記憶がある。いつもいるわけではないし、決まったときに来るわけでもない。それでも、母は楽しそうにしていたことを覚えている。
父はいつもは家にいない。時々しか顔を出さない。仕事が忙しいということなので、そういうものだと思っていた。
紗津季が小学生になると、紗津季には父親がいないということで、いじめを受けるようになった。
親たちの間では、紗津季の母親が正式に結婚していたことがないこと、つまり、愛人であることは噂になっていた。
同じ母親でありながら、家庭生活の日常で老け込んでいた他の母親たちと比べても、紗津季の母親はとりわけ美しかった。同じ年代の中年女性たちの中で、ひときわ美しい紗津季の母親は、他の子供たちの父親からみれば、自分の妻より際立って見えた。
父親たちが紗津季の母親を目で追っていること、そしてつい、自分の妻と見比べてしまう父親たちの冷たい目、そんな目で見られることに敏感な他の母親たちからは、紗津季の母親は妬みの対象となる。
そこで、愛人であるということを最大限強調しておとしめることにより、妻たちは面目を保とうとする。そして、それは子供たちにもそのまま伝わり、同級生たちの紗津季に対するいじめとなるわけである。
同級生の子供たちが紗津季に向かってこんな言葉を投げつけた。
「お前、おとうちゃん、おらんのやって?」
「知らん男の人からお金もらってんやってな」
「なんぼ、もらってんのや?」
紗津季がこれを無視していると、
「何や、何も言わんのかいな。この服も、知らん男の人からもらったんかい」
と言いながら、紗津季の服を引っ張るので、紗津季も思わずその手を振り払う。すると、
「何や、何や、その生意気な態度は」
と言い、また紗津季の服に手を伸ばそうとする。それをよけようと紗津季が後ずさりしたところ、今度は背後から別の男子が手を伸ばして紗津季の服を掴んだ。紗津季が思わずそれを引きはがそうとしたところ、紗津季の服が破れてしまった。それに驚いて、いじめていた子供たちがひるんだ隙に、紗津季は、そこから逃れ教室の外へ出た。
そしてトイレに駆け込むと、破れた服を見て思わず涙が出た。トイレには他の女子たちもいたが、誰も声を掛けず、冷たい目でただ見ているだけだった。紗津季は、
「どうして、私ばっかりいじめられるんだろ。何も、悪いこともしてないのに」
と悲しい思いに沈んでいた。
また、別の日には、ノートを開くと、そこに落書きがされていた。ノートには、
「知らん男の人からお金もらって、ええな」とか、「恥ずかしくないのかいな」とか、「ドアホ」、「ブス」といった、口汚い言葉が書きなぐられていた。
紗津季は、暗い気持ちで、そっとノートを閉じた。