「目を動かさないでください」とモニターを見ている検査師からまた注意を受ける。何の試練だか、と内心ごちて、再び気を取り直して凝視とボタン押しのセット作業を続ける。

忍耐と緊張が最高潮に達したところで、「お疲れさまでした」と言われる。顎と額を離して大きく呼吸すると、力が入って縮こまっていた首と肩がやっと解放されて脱力した。

暗室になった診察室。デスクにある白熱灯が、医師と看護師の白衣だけを浮かび上がらせている。

ここでもまた検査器に顎を乗せる。首から上の関節が分割された球体人形のパーツになって、宙に浮いている気分だ。

医師の親指と人差し指が眼球近くまで迫って、その指が月子の瞼を押し広げる。思わず膝の上でハンカチを握りしめた。

顎を固定させたまま、指示通り、上、斜め上、下と眼球を動かす。月子の瞼から剥がれた医師の湿った指が白いカルテをペラペラと捲る。ブツブツ喋りながら何かを書き込んでいる。

「少しだけ気になるところがありますが、誤差でしょう。異常ないですよ」

視野欠損、ブラインドスポットは認められなかったようだ。

帰り道、眼底検査の目薬がまだ効いており、視界がぼんやりして、のそりのそりと歩いていると、後方からリンリンとベルを鳴らしながら自転車が近づいてくるのがわかった。距離感がわからないので振り向いて確かめたいが、霞んだ目は、意識と反射神経まで鈍らせる。

人間の視界は、最大で二百度ぐらいというから、普通に歩いていると百六十度はまったくの死角になる。車のようにバッグミラーかサイドミラーを搭載したヘッドギアでも被って歩きたい気分だ。

午後はまたパソコンの画面に向かい、デザインソフトを立ち上げた。ゴールデンウィーク前に納品しなければならない制作物がいくつかある。県の観光冊子は、カメラマンが撮った画像データとライターからのテキスト、ディレクターの手書きコンテをもとにサクサク進めていこう。

今流行りのグランピング施設を紹介するページは写真を大きくレイアウトする。海辺の高台に開発された土地に造られた宿泊施設の豪華なテント。愛犬も連れて、バーベキューとか焚き火とか、非日常を親しい友人と体験するってわけか。