第一章 イマジン
早乙女華音の祖母・一之瀬文子は、昨晩八十七歳の生涯を閉じた。文子はつい最近まで『富山大空襲』の悲惨さと平和の尊さを訴えるため、富山県内の小中学校の課外授業や社会人講座に出向き、語り部として奔走していた。
早乙女家は、父・早乙女真一、母・瑠璃、娘・華音、瑠璃の実母・一之瀬文子の四人である。真一は富山市内にある富山総合大学の経済学部の教授、瑠璃は自身が開いている音楽教室のピアノ講師、華音は東京の音楽大学を二年前に卒業し、今は高岡市内にある共学の高岡北高等学校の音楽教員である。家は高岡市内の繁華街から少し離れた郊外にあり、緑豊かな閑静な住宅街の一軒家である。
文子は八十七歳の高齢ではあったが、普段から健康に気を遣い、年一回欠かさず近くの病院で人間ドックを受けていた。ところが、今年の人間ドックで膵臓癌の疑いありとの検査結果が送られてきた。文子は検査結果を見て、
「瑠璃、膵臓癌の疑いありと書いてあるんだけど、疑いは疑いよね」
と意味不明な言葉を口にした。瑠璃は心配そうに、
「お母さん、膵臓癌は怖い病気よ。要再検査と書いてあるでしょう。精密検査しないと後悔すると思うんだけど……」
と少しきつめの口調で言った。
「瑠璃がそう言うのなら、そうするわ」
「お母さん、膵臓癌の疑いとなると大きな病院がいいわよね。今晩、真一さんが帰宅したら、相談してみることにします」
「そうね。そのほうが安心ね」
その日の夕方、真一が帰宅し、
「お帰りなさい」
と瑠璃は、いつもの調子で玄関に行った。真一は靴を脱ぎ、
「お義母さん、どうしたの? どこか悪いの?」
と訝しがるように聞いた。いつも真一が帰宅するとき、決まって文子と瑠璃が一緒に玄関で迎えるのが習慣だったからである。
「あなた、大事な話があるので……」と真一の背中を押しながら二階の寝室まで一緒に行った。