記憶のはじまり

まるで木の葉のように空中を舞っているものが見える。家の前の道は飛んで来た様々なもので埋まって、とても歩けそうにない。そんな様子が、音の無い映像でも見るように、かすかな記憶の底から甦ってくる。

それは、家の中から表の通りがよく見えるガラス戸につかまって見た光景のように思われる。昭和九年九月に大阪を襲った第一次室戸台風は、瞬間最大風速六十メートルを記録した時に、気象台の風速計が壊れてしまってそれ以上は測れなかったといわれる程、大型で強烈なものだった。世に大阪の大風水害といわれ、住民に大きな被害をもたらした。私の記憶の始まりはどうやらその時のものらしい。

次はもう少ししっかりした記憶だ。四、五歳のころだったろうか。私はハシカにかかって、二階の部屋でしっかりとふとんを掛けられて寝かされていた。風に当たると発疹が内攻して治らない、というので、ふとんから出たがる私に父が添い寝をしてくれた。そして夜の山道を歩いていた人が、タヌキに化かされているとも知らずにいくら歩いても歩いても家に帰り着かない。

夜が明けて気が付いてみると、一晩中同じ所をぐるぐる回っていた話や、婚礼の帰りにほろ酔い加減の人が、持っていた折り詰めの御馳ち走を、うまくキツネにだまし取られた話などを聞かせてくれた。

父が付きっきりで側にいてくれるのが嬉しくて、私はおとなしくふとんの中で父の話を聞いていた。その時、丁度洗濯物を干しに母が二階へ上がってきた。そして、母が物干し台へ上がると同時に、ユサ、ユサ、ユサと家が揺れ出したのだ。

「地震や!」

母の声が引きつった。

「すぐに収まる」

と父は落ち着いて言った。しばらくして父の言葉通り、地震は止んだ。不測の事態が起こった時、父はいつも冷静で、何かある時、父が側にいると、とても安心だった。私の人生の記憶はどうやら怖い経験から始まるらしい。