我輩は我輩のご主人の気持ちを斟酌して、席を立って食堂車に行き、バーボンを買って席に戻った。バーボングラスとつまみのビーフジャーキーを我輩のご主人に渡しながら、質問というより、独り言をつぶやくように、
「以前もお聞きしましたが、この時期に自ら手を上げるか、指名候補に挙がった外交のプロはやっぱりいなかったんですかね? 駐米日本大使といえばプロの外交官にとって自分の実力を発揮する最高の華の地位だし、普段からその知性と教養と見識を誇っているのに……。何とももったいない話ですね」
と、ぼそりと口にした。我輩のご主人は、
「どの組織でもそうだが自薦はそう簡単に通るものでないよ。人事権は外相が握っているし、自薦、他薦は色々出ても最後は外相の判断だからな……」
と言う。
「でも、国難を前にして『俺にやらせろ!』と手を上げるガッツのある人間が一人くらい出てきても不思議ではないと思いますけどね。外務省には昔から英米追従の国際協調派もいれば、自主外交、アジア主体の外交をやるべきだと主張する人など多士済々ですよね。そうでなくても目立ちたがりの人は掃いて捨てるほどいるでしょうに…。うーん、この情勢下ではやっぱりいませんかね……」
と食い下がった。すると我輩のご主人は即座に、
「外務省にはね、昔から【外交官に求められる資質】と呼ばれるものがあってね、ちょっと思い出すだけでも例えば……、愛国心、教養、知性、社交性、勤勉、良識、交渉力、語学力、決断力、節操、上品、スマートさ、人間的魅力と勇気を兼ね備え云々……と聞いた事がある。
どうだ、ケン坊、すごいだろう。まるで聖人君子か神様みたいな資質の人ばかりが揃っていることになっている。問題はこのような立派な資質を備えた人間が普段は立派なことを言っていても、いざ国難!となった時、その資質を存分に発揮できる人間がどれだけいるかだな。いないことはないと思うがいても少数だろう」
と、バーボンを飲んで気分が高揚してきたのか珍しく一気にしゃべった。