河津三郎の死 兄五歳・弟三歳

……伊東に伝わる伝承には、「一萬は父の最期を()の当たりに見つれば、()(うら)み骨身にこたえて、寝ても覚めても忘れ()ぬれど」とある。

血にまみれて息絶えた父、母の嘆き、もらわれていった末弟、そして追われるように後にする故郷――わずか数か月のうちに立て続けに起こり、人生を激変させたこれらの出来事は、わずか五歳の少年の身にも、骨の髄まで突き刺さって、癒えることのない大きな傷を残したのかもしれない。

一萬と箱王は、最後に一度振り返って、伊東の地を見ただろうか? 兄弟はその後、二度と懐かしい故郷の土を踏むことはない。仇の工藤祐経が、いつか兄弟のものとなるはずだった伊東の土地を、すべて我がものとしてしまったからである。ただ、その死の数日前――仇討ちに向かう道中、海岸沿いの道で兄が指を差し、

「弟よ、あれを見よ。はるかにかすむ、あれが伊豆半島。父上の土地、我らの故郷だ」

と、はるかな海岸線に、その陸影を望んだばかりである。

曽我兄弟、継父の元で育つ

兄九歳・弟七歳 一萬(いちまん)(はこ)(おう)が母と共に曽我へ旅立った、その直後の出来事である。兄弟の生まれ故郷、伊豆で、日本全土を巻き込む、とんでもない大事件が起こった。源頼朝(よりとも)の挙兵。源平合戦の幕開けである。東国はもともと源氏の勢力下。関東八か国の者、ことごとく頼朝の家人にならぬ者はなく、潮のごとき勢いで平家を討たんと軍を進める。

山木を討ち、隅田川まで打って出、そこから東海道を上って西へ、西へ……。すでに関東一帯は源氏の白旗がなびかぬ場所はなく、十万余騎と言われる大軍勢。が――ここに一人だけ、関東の武士でありながら、頼朝に反旗を翻した男がいる。他ならぬ、曽我兄弟の祖父、伊東(いとう)(すけ)(ちか)である。