まず直方体の箱を想像していただこう。要するにエレベータだ。これを自由空間の中で上方向に引き上げることで、箱中の物体に疑似重力を生じさせることが可能である。しかし必要なのは床面のみであって、箱の内外に区別をつける理由はない。物体に直接ひもをくくりつけて持ち上げても効果は同じだ。しかし上昇するエレベータの想像図から私たちが得る直感は、内部空間の移動が物体を動かしており、外部空間との差が重力となるということだろう。つまり空間と空間との関係に注意を奪われる。
しかしよく反省してみればわかることだが、エレベータに乗った私たちが加速を感じるのは床の移動があるからであって、空間が移動するからではない。まさに語り方の勝利というべきだろうか。
これと同時に、重力場の中を自由落下するエレベータを想像するよう促し、それによって内部が無重力であることを主張する。だがそちらはあえて箱を用意する必要はなく、物体が重力場を落下し、計測者や計測器も一緒に落下していれば重さは消える。これを図に起こし、下部の重力源を描くと、空間がその重力を打ち消すという印象を与えやすくなるかもしれない。
この仮定において、空間の持つ性質が十分に検討されないまま話が進む。おそらく多くの人はこの思考実験においてエレベータの内部空間を外から独立した空間とみなすのだ。したがってエレベータ内の無重力、および疑似重力をこの空間の移動がもたらしたものであるという錯覚を持つ。
しかしいずれの場合にも純粋に物理学上のことを言うなら、箱の内部と外部を分けなくとも同じ効果が得られるのであり、内部を独立した空間とみなす理由はない。むしろ内外で連続的であるからこそ、疑似的な重力、無重力が得られる。すなわちこの例で空間というものは何の役割も演じない。
にもかかわらず、疑似重力、疑似的な無重力と空間とが1つの図の中に空想されることで、空間が何らかの影響を及ぼすという、かなり漠然とした印象だけは残る。
ザルにひもをつけて持ち上げる、金網をエレベータ代わりに使う、そのような場面を想像すればよい。力のかかり方はしっかり金属の壁で囲まれたエレベータの場合と全く変わりないはずなのに、空間の移動が重力を生むという印象はわいてこないと思う。ここで疑似重力として扱われるのは、引き上げる力に対する抵抗だ。
すなわち作用と反作用の問題であるにすぎない。では上に引き上げるのではなく、横にひいても、あるいは押しても同じ効果が得られるはずなのだ。だがその描写だと重力という錯覚は生じない。単に押す力と引く力が等しいということが強調されるだけである。