第二章 晴美と壁

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晴美は二十三歳で精神障がい者となった。精神障がい者にはさまざまな解釈があるが、広義にいえば、精神科の門を叩くこと、それがもう精神障がい者なのだ。晴美は働いた期間が一年間に満たないので、障害年金は申請できない。いや、そんなことよりも晴美自身は障害年金をもらいたくなかった。

晴美は自分が精神障がい者となって、初めて今までの自分の考えがいかに傲慢で、上から見下すような目線で物事を見ていたかを思い知るのであった。人生は決して順風満帆には歩めない。

後ろ向きに生きる人たちを「人生の敗北者」とか「負け犬」だとか思ってきたが、それがいかに間違っていたかという事実を、自分がその状況に置かれて初めて気がつくのである。人は自分が体験しないことをあたかも体験したようには、本当は言うことなどできないはずだ。実際に体験して初めてその辛さがひしひしと胸に迫ってくるのである。実体験としてそれが理解できるのだ。

晴美は自らの人生を一から考えなくてはならなくなった。立て直さなくてはならない。精神障がい者という甘んじた境遇から脱出しなくてはならない。海底に沈んだ己の体を海面に浮き上がらせるように。晴美のいちばん良い点は自立心が強いことだ。自分のできることは自分でしようという気持ちを人一倍強く持っているのだ。

向精神薬を晴美は飲んでいる。体が気怠くてたまらない。自分の体でないようだ。この状態から脱け出すには? どうしたらよいのだろう。医者に訊くのだが、納得のいかない答えしか返ってこない。両親も兄弟も「そのうちによくなるよ」としか言わない。

晴美は布団の中で懸命に考える。しかし、いくら考えても答えは浮かんでこない。堂々巡りをし、一点のみぐるぐると、まるで考えが回転寿司のように回っているようだ。晴美、どうするんだ。もう一人の晴美が悲痛に叫ぶ。もう一度お母さんに訊いてみよう――。