台所仕事に精を出し、晩御飯を作っている母親に訊いてみた。
母親は手を止め、いつになく真剣な眼差しで我が子を真正面から直視して言った。
「晴ちゃん、この人参を切ってごらんなさい」
味噌汁を作っている母親は晴美に人参一本と包丁を渡した。
「そんなことをしたって――」
「いいえ、こんなことができることこそ大事なのよ。考えることよりほんの僅かな行動をするのよ」
晴美は「行動しなさい」という母親の言葉が強く胸に響いた。そうだ! 考えることよりまず行動することだ。早速、母親に言われたように、人参を二つに割って、銀杏切りにした。覚束ない手で慎重にゆっくりと……。
「はい、ご苦労さま」
「お母さん、固まっていた頭の中の血が少し散らばったような気がする。気持ちいい。考えることより行動なのね」
「そうよ、考える前にまず行動よ。それこそ大事なことなのよ」
「そうね。頭を使うよりその前に体を動かすことね。ありがとう」
その晩、就寝前に母親は父親に言った。
「晴ちゃん、今日、人参を刻んだのよ」
「へぇ――」
父親は驚いた顔をした。
「布団の中で考えることより、まず一歩行動しなさいと言ったのよ」
「そうだな。晴美はどうも頭でいろいろと考える癖がある。考えたってどうにもならんということが分かったようだな」
「そうよ。そのことを教えてあげたのよ。晴ちゃんは素直だから、私の言うことをよく聞いたわ」
「それはよかった、よかった。晴美は一歩前進したな」
父親も母親もそして晴美も、この日は心地良く眠れたのであった。