ジョン・コフィンは私には傲慢な女嫌いとしか思えない。

ジェファーソンとハミルトンはしばしば重要なテーマに関し対峙した。ジェファーソンはモンティチェロに自分とハミルトンの胸像をお互い相対して置き、彼らの物事を見るそれぞれの観点が将来何世紀にもわたり本質的対話として受け継がれると考えていたようだ。ジェファーソンは後にハミルトンのことを「鋭い理解力」を持ち、「私心のない、誠実で、高潔な」卓絶した人物だと称した。

このことはすべてフランクに当てはまると私は思う。ミュージカル『ハミルトン』がフランクのお気に入りであることは当然だろう。彼は「誰が生きながらえた? 誰が死んだ? 誰がその話をしたんだ?」という歌詞を口ずさむのが好きだ。

私はジェファーソン的な人間であるが、それはジェファーソンが設立したバージニア大学で卒業論文を書いたからというわけではない。ジェファーソンが記憶されたいと思い、墓石に刻ませた彼の偉業とは

「アメリカ合衆国独立宣言書の起草者であること、宗教的自由に関するバージニア州制定法を起草し、バージニア大学を設立したこと」

であった。独立と自由と知の追求、私にとってこれらがすべてである。多分、私はどちらかというと革命的で、フランクはより保守的というのが正確かもしれない。

でも現実はこう決めつけるより複雑だ。私は革命的かもしれないが、安定性が必要なことは理解している。そしてフランクは保守的かもしれないが、彼は新しく変化していく必要性を理解している。私たちは異なる観点からスタートすることが多いが、良好な議論の結果、いつも合理的なやり方に落ち着くことになる。

しかしこの現在の科学暗黒の時代において、革命的な者も保守的な者も追放されてしまった。革命的な人たちはその新しいアイデアを責められ、他方保守的な人たちは現状の方針が正しいのか確認するために証拠を求めると、その問題は解決済みだとはねつけられる。質問をするな! ということになる。

科学においては革命的な人、保守的な人がいなくなり、今では嘘つきとカネ目当ての連中と卑怯者だけになってしまった。

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