飛燕日記

まだ明るい繁華街を酔っぱらいの集団が占拠していた。今日は大晦日だ。着ぶくれした肩を組んだ集団から歓声と奇声が上がり、通りが色めき立つ。そのうちの一人が歌い出したのは、どこかで聞いたことがある歌だった。天国ではないけれど地獄でもない。いいやつばかりではないけれど悪いやつばかりでもない。

何事も百パーセントの純度を持つものはないだろう。私たちもそうだ。休日はこの通りだが、平日は真面目にサラリーマンをしている。

清濁も美醜も善悪も溶けあってできた人間は、いつまでも完成しない絵の具のようだった。パレットの淵に出した色を中央で混ぜてはもの足りなさを感じ、また色を足す。色調は常に変わり続け、気がつけばまったく別ものになっている。

私はかつて、既婚でありながら愛人を作る男も悪いが、そうだと知りながらつきあう女にも問題があると思っていた。だが、今となっては自分も同じことをしている。

私の父は若いころ浮気がやめられなかった。母には生活費を渡さず暴力をふるい、外の女と飲み歩いた。それから仕事を辞めてフリーターになると遊ぶこともできなくなったようだが、同時に家が困窮に陥った。当時、私は小学生で学費も食費もかかる時期だった。母が、足りない部分を稼ぐためにスーパーでパートをしたいと言うと、父は「まだ遊びたいのかお前」と激しく非難した。

「タツマさんは、子供いるんですか?」

「うちはいないねえ」

その返事に安心すると同時に、自分の虫の良さに恥じ入った。ここまできて多少の非常識くらいなんだと開き直ろうとしたが、自責の念が顔を出す。

倫理観が薄い自覚はあった。他人のものと自分のものの区別がつかず、ルールは覚えることもできない。人が笑う時になぜ自分も笑わないといけないのかわからなかった。もし人を殺しても、死体が見つからなければ問題ではないとさえ思っている。

だが、この状況では自分のやっていることに罪悪感を覚え、かつて憎んでいた存在に自分がなっているという自覚を持たなくてはいけないのだろう。

こんなことはもうやめるべきだった。