多くの場合は、途中でバスやタクシー、マイカー等を組み合わせて移動していて、全部を歩きで回り、またそれを100回以上となると、まずそれほどいないのではないでしょうか。

実際、へんろ旅を始めると「これまで20年も歩いている」という様な人にも出会いましたが、よく聞いてみると八十八カ所を本当に歩き続けているという人はいません。

かつて一回は歩いたけれど、あとは途中を飛ばしたり、一定の地域をぐるぐる回ったり、生活のためにへんろをしているという人がほとんどで、私としてはそんなふうにはなりたくない……年数や回数がいたずらに目的化するのは、本来のへんろ旅とは違うのではないかという気持ちがありました。

結局、回数は後に書く様に、へんろ旅そのものの目的を「厄」に対する祈願と位置付け、煩悩の数と同じ108回に決定。いくつになっても、歩ける限りは歩き続けようと心に決めた次第です。

そしてもう一つ、私にとって多少とも胸を張れると思うのは、自分が歩いているへんろ道を折々に修復、手直ししたという点で、最初に歩いた時に「ここは危ないな」「直さんとあかんな」と感じた場所を、その後の旅の途中でこつこつ直していきました。

直しが必要な道というのは、かつての歩きへんろのルート上に多く、近年は多くの人が自動車で移動する様になり、そちらが本道とされるに伴い、荒れるに任せている場所がいくらでもあります。

たとえば道の上に倒木や落石、(つた)(かずら)が覆いかぶさったままになっている場所や、道の端が崩れ掛かっている場所等、野宿に使うマイカーに簡単な工具を積んで、倒れた木を伐って取り除けたり、大きな石は邪魔にならない様転がしたり、崩れている箇所には土を盛って固めたり、歩きやすい様に手直しをするのです。

へんろ旅をしながらの道直しは、老いの身にはかなりの重労働でしたが、それによって遥か昔にお大師様が開いた道、その後も多くの修行者や祈願者がたどった道を絶やさず受け継いでいく事は、仏縁の糸を繋ぐ事。時には「手伝いましょう」という人もいらっしゃって、何とか結願まで続ける事ができました。