序章 我がへんろ旅、発心の記――88(パッパッ)の時間帯で得た喜び
一 私のへんろ旅、88の時間帯について
~なぜ遍路と 聞かれて困る 迷い旅 軽い笑顔で 答えを見せる~
へんろは、心身一体の旅です。それだけに、そこへ至った理由や、そこで得たもの等、ひと言で心の内側を話す事はできません。へんろ旅の日常――それは、自由な心での思考の気楽さと、習慣性を生じさせる不思議な時間帯です。
心中、弘法大師と共に、お大師様の足跡をたどる「同行二人」の旅であり、心の中で二人の自分が論争を楽しんでいる様な、そんな夢想の時間帯といえるでしょうか。
ここにお読み頂くのは、へんろ旅にまつわる私の自分史です。執筆の背景には、歩きへんろに徹した非日常的体験の結果から生じる、私自身の心身の変化について関心を持ち、へんろを始める前の心中のもう一人の自己を思い出し対話してみようという気持ちがありました。
へんろ旅には、特有の心理作用が生じます。そうした「へんろ思考」をする心には宗教性、すなわち仏教的な背景を意識・無意識に持つ事になります。これは、無神論者等を除いたへんろ旅の日常に出会う他のへんろ者にも感じる、個人的な所感です。この本はそんな、人生の一時期をへんろ旅で生き、その贅沢な自由思考の時間帯の内容を記した日記的な「雑記録」。私自身、親しみを込めて「88(パッパッ)の時間帯」と呼ぶ、四国八十八カ所へんろ旅の、発心・準備・実行・体験等の内容とその結果を記すものです。
へんろ旅の期間は、2000年から2019年に掛けての事。本格的な歩きへんろの期間は2008年からの足掛け12年間で、この間に本格的な長期連続のへんろ旅を重ね、合計108回をもって自らの結願に至りました。ひと口に108回とはいいますが、八十八カ所全部を歩いて回っておおよそ1カ月、それを実質10年と少しで108回繰り返したわけですから、なかなか大変な事だったのだなと自分でも思います。