私自身のへんろ発心の背景については、この後に書きますが、多くの場合、現実的願望として「厄」すなわち生活する上で差し障りのある事柄についての祈願があります。それは、具体的には諸願成就・健康願望・余生の生き方等といえるでしょう。これらは、へんろ旅という非日常的体験の結果、日常生活の安定を獲得する意識であり、同行二人の旅において、もう一人の自己の確立を図る事です。

私の場合はそれに加えて、般若心経とは何か? また、悟りについての一定の認識を持つ事、厄との関わりや、生死の問題に関して、宗教と信仰等の関係をどの様に考えるか? 等の気持ちがありました。まさに身体と心が語り合う、非日常的環境を積極的に求めて生きた一期間です。

その意味で、この自分史は一片の風聞知識を頼りに、心経とは何か? に始まり、へんろ、悟り、神仏、生命……果ては宗教とは何か? と、際限なく思考の対象を拡大して思索した事柄をまとめたものでもあります。

何の根拠も、科学的見識や宗教的な勉学もなく、一人のへんろ者が12年余にわたる非日常の「88の時間帯」に体験し、感じ、考えた思考の記録です。折々に心に浮かんだ思い、体験等をそのまま記す内容は、無責任の極みかもしれませんが、我がへんろ旅自体、人生の遊びの時間帯と自覚した上の事です。

遊び心には、無駄・無意味・無成果・無価値の側面があるのが当然で、それ故の面白さもある。そんな考え方をもって、この本を通じささやかな自分史を綴っていこうと思います。