【前回の記事を読む】「お前は神を頼らなければ生きていけないのか!」父の愛ある一喝に性根を叩き直されて
現代社会の病
昭和三十年代や四十年代の頃の年寄りは、病気になると往診の医師が来るものの、皆家で死人になったものだ。救急車など滅多に見たことがなかった。
家族に囲まれて、息を引き取ったものだ。そこには人情があった。
昔から、年寄りは転んではいけないといわれていたが、祖父は転んでから少し言動がおかしくなり、脳軟化症だと言われた。
祖父は何ヶ月も経たないうちに寝たきりになった。
ひとり祖父の寝床を見にいくと、「みかんのジュースが飲みたい」と言った。自分はみかんを搾り、吸い飲みに入れて、少しずつ祖父に飲ませると、「ここに入れてくれ、ここに入れてくれ」と唇の端っこを指差した。
そして「うまいなー」と言って、「ここは草原なのか?」と聞いた。「そうだよ」と答えた。
「花が咲いているなー」と祖父が言った。自分小学三年の冬だった。
薬も飲めないから与えられない。点滴もない。まさに自然死中の自然死だったと思う。
自分は初めて生人が死人になってしまった瞬間を見た。体が上にぐわーっとのけぞり、沈んでいった。穏やかに祖父はこの世を去った。
葬儀屋が来て、家で葬式をしたものだ。
現代はすぐに救急車を呼び、中途半端に治されてしまう。なかなか死ねない。コロナによってどのような体制になっただろう。時代は変化を続けている。
小さな頃、死ぬとは、何て悲しいものだろうと思った。そして今は、生きているとは、何て悲しいものだろうと思ってしまう。
思春期の頃からか、手の指の先が泣くのを知った。生人の心魂は指の先まで悲しくなるものだ。
この世の中には、考える生人とあまり考えることをしない生人がいるようである。言葉を考え選びつむぐ人、頭に浮かんだままを話す人、思いの丈をそのままぶつける人。
魚に例えると、陽の光を浴びながら浅瀬でヒラヒラ泳ぐものと、光の当たらないところであまり動かない深海魚のようなものであろうか。深く深くものを考える。
考えたところで、真実の正解などは出てきはしないものだろうが、それでも考えることをやめないで生きている。浅いものが馬鹿なのか深いものが馬鹿なのか、それはわからない。
あなたはどちらの生人であろうか。決して二つに分けられるような簡単なものでもないが、生人はそれぞれというもののかなりの差があり、それを肯定も否定もできない。
自己責任において生きてゆけるもの、誰かにしがみつきながら依存して生きてゆくもの、自分が全くないような生き物。
生人とは、個々に自分の中と自分の周りの環境をほんの少しだけ知っている小さな狭い世界を体に持ち歩いているようなものだ。皆世間知らずなのだ。