脳、内臓、筋肉、脂肪、骨。そこに宿る心、気持ち、魂が皮膚という肌に包まれて、中身が何も見えない。まるで着ぐるみでも着ているような生き物だ。
その生き物は脳だけで行動するものでもなく、考えるものでもない。
心という実態のないもので支配されているようだ。体の中身は心魂そのもの。
脳と心は著しく連動しているわけではないと感じる。脳が全ての指令を出しているとは到底思えない。
人間の中身が見えないように、心というものは解剖したところで見えもしない謎のものである。
しかし、生人の中身は心や気持ち魂のようなものではち切れそうなものではないか。
よく似たような着ぐるみを着ていても、考え方、感じ方、興味、発想、情、知識、怒り、憎しみ、欲望、言動においても全てが違う。まるで違う生き物だ。
その着ぐるみ同士が仲良く集まったり、話し合ったり、歪み合ったり、憎しみ合ったり、傷つけ合ったり、殴り合ったり、殺したり。
街を歩けば知らないもの同士がすれ違い、ひしめき合い、生人が集まるところ、その一人ひとりの魂がゴロゴロとぶつかり合ったりする様が見えるようで、恐怖さえ覚える。
生人はここ二十年ほどで大きく変化してきた。便利なアイテムが常に登場し、何と不便な時代だろう。老生人にはいじめであり、子生人にはモラハラにあたるかもしれない。
片時もスマホを離さず持ち歩き、常にスマホと対話をし、トイレも風呂も寝るのもスマホと一緒。自分がスマホなのかスマホが自分なのかわからない生人たちがたくさん存在するようになった。
個人の時間が阻害されているのを知らない。
自分の考えや、思いなどは絶滅していそうにも見える。どこにいても連絡が取れ、どこにいても場所がわかってしまう。どこにいても邪魔をされているのに気づかないのだろうか。
現代はまるで着ぐるみを着てスマホが街を歩いているようにも見える。
人生の無駄遣いに気づく間も与えない。
生人の自由が奪われているのに、生人のストレスをあおり、不幸を生み出している。そのうち人格を持った死人のスマホが、明日には自分の代わりに話し出すかもしれない。