■不信

仁美は、週に一度、入院している夫に必要物品を届けることにしていた。

ある日のこと、病室に夫がいないため、病院の庭に出てみた。満開の桜が周囲の緑の木々とよくマッチする見事な庭は、長期療養者にとって、最高の環境でもあった。

庭の片隅には、白いベンチが幾つか置かれていて、その一つに、男性が女性の肩を抱き見つめ合いながら仲睦まじく過ごす男女がいる。

仁美は、なにげなくその男女に目をやったその瞬間、わが目を疑った。そこにいるのは、夫ではないか。その光景は、頭と心が音を立てて崩れ落ちる三度目の出来事であった。

官舎の友人から蔑まれ辛い気持ちを抱えながら、娘たちの悲しみを支えようと懸命に努める仁美にとって、その光景は、いかにしても許せるものではなかった。

「貴方のせいで崩れてしまうのよ、私達の家庭は!」

仁美は思わず口走っていた。仁美は、この時の気持ちを、終生忘れることはないと感じていた。

佑輔は、生活ではなく仕事を選んだ生き方をしてきた。家庭は仁美に全て任せて、出世という志を持ち、高みをめざして生きているのだ。決して幸せではなかった仁美の生い立ちから大学卒業までの日々は、早く結婚したいという気持ちに拍車をかけたのに相違ない。

事実、仁美は、最初のお見合いで佑輔と結婚したのだ。当初、二人は、とてもお似合いであった。2年後、史香を授かり、その3年後には、華歩を授かった。幸せのはずであったが、佑輔が家庭を顧みることなく仕事を優先させる姿は、仁美の心に少しずつひび割れを生じさせていたことは確かである。

そして、今回の出来事により、夫への信頼が全て失われてしまったのだ。

どこまで我慢すればいいのか、離婚という選択肢は、その時の仁美にとっては、経済力という高いハードルにより、断念せざるを得なかった。