一 教員の”信念”と“不安”
中学校の校長なんかなるものじゃない。現役時代、何度もそう思った。命に関わるような深刻な事態がいつ起こるか分からないし、保護者のクレーム対応にもかなりの時間を取られる。その上、ここ数年はコロナ対応も加わった。
しかし、そんなことはなるようにしかならない。中学生がいわゆる問題行動を起こすのはよくあることだし、保護者が理不尽な要求をしてきたとしても、自分の子どもを大事にしたいという愛情の裏返しと考えれば理解もできる。それどころか、こっちが気づいていないことを教えてもらえる場合もある。コロナ対応は確かに大変だが、最近では対応方法が明らかになってきた。
最も気を遣うのは教員である。彼らにはある種の“信念”がある。そして、それ以上に大きな不安を抱えている。それを理解しなければ信頼関係は築けない。
例えば、ベテラン教員。学校には、定年後も勤務を継続している「再任用教員」を含め、多くのベテラン教師がいる。私の勤務していた中学校では、校長の私よりも年上の教員が、正規職員の一五%程度いたこともある。
そういう教員は、いままで積み上げてきた豊富な経験やノウハウを若い世代に伝えてくれる貴重な存在である。ただ、経験がある分、こだわりも強く、生涯一教諭であることに誇りを持っている者も多い。彼らは、自分なりの“信念”を持っている。それは教員として必要な資質であるが、時に、現状を客観的に見る目を曇らせてしまう要因となることがある。
そうしたベテランの多くは、すでに管理職適齢期を過ぎている。かつて一度や二度は管理職にならないかという誘いを受けているだろうが、そんな時「自分はそんな器じゃない」と言って避けてきた。生涯一教諭であることを誇りに思う彼(彼女)らは、謙虚に言いつつも、実は管理職にならないことを誇りにさえ感じている。少なくとも傍目にはそう見える。
しかし、その裏には大きな不安が同居している。彼らは、たびたび管理職に自分の意見を強く押し通してくるが、別に悪気があるわけではない。問題を指摘することで学校運営に寄与しようとしているのである。ただ、これまでの経験によって「いまの状態は良くない」ことに気づく感性はあるものの、自らの過去の経験にこだわり過ぎて、現状に合わない解決策を呈示してくることがしばしばある。