はじめに

最初の章では、学校における「不適切な」教員の様子を描いている。しかし、これを単なる教員への断罪として受け取ってほしくない。この本は、そうしたことを世に示すために書いた、いわゆる“暴露本”の類ではない。この本を最後まで読んでもらえばわかっていただけると思うが、暴言を吐いたり、非常識に思える教員を単純に責め続けたとしても、決して根本的な解決にはならないのだ。

最初の章に登場する教員は、もがけばもがくほど深みにはまる蟻地獄の中のアリのようなものだ。だから、この本を手にしたすべての人にお願いしておきたい。第一章だけを読んで、読むのをやめることだけはしないでほしい。そこでやめられたら、私の言いたいことが真逆の意味として伝わってしまう。

私は教育学者でもなければ、大学の研究者でもない。可能な限り理論的な根拠やデータは示したいと考えてはいるが、そういうことはすでにそれぞれの専門家がやっていることだ。同じ土俵に乗っても意味があるとは思えない。

だから、私の示すものは専門家にしてみれば他愛もないと感じられるかもしれないし、何をいまさらと一蹴されるかもしれない。しかし、ここで扱う問題に対して、学校現場側、それも管理職経験者が声を出すことに一定の意味はあると思っている。

校長は、教員とは違う視点を持たなければ務まらない。だからこそ、学校や教員の現状をありのまま捉えることもできる。そこから見えるのは、理論的に解決不可能な問題を解けという至上命令を受けて、ただひたすら日々の対応に追われ、追い詰められつつある教員の姿である。

特に中学校の教員は、何の武器も持たされず最前線に立たされている兵士のようなものだ。どんなに懸命に頑張っても、最後は“祈る”ことしか許されない。マスコミが取り上げる「不適切な」教員だけが教員ではない。ほとんどの教員は矛盾だらけの制度の中で必死に闘っている。どうかそのことをわかってほしいと思う。

なお、本文において用いる“学校”は、特に断りがない限り“指導困難校”と言われる大規模公立中学校をイメージしている。学年一クラスずつしかない小規模の学校や、複式学級を抱える学校には、そのままあてはまらないこともあると思う。その点を念頭に置いて読んでいただけると幸いである。

また、本文で扱う教員に関する事例は、事実に基づいたものであるが、できるだけ多くの学校現場にあてはまるよう、複数の事例の事柄を一つの事例にまとめて示している。限定された個人の事例ではないことを申し添えておく。