古い有名な大学である7つの旧帝大に入学、卒業して所属する教室で、それなりの研究実績を上げます。すると以前は全国のあちこちの大学に同じ大学に在籍の先輩方から強く推薦されて、その大学の教授など、レベルの高い職に就ける機会が数多くありました。大学のランクの違いが歴然としていて、地方の大学が歴史ある大学からの教員を求めていたことも影響していたのでしょう。

私立の大学では、卒業生の多くが開業して、大学を離れる人がほとんどだったこともあります。大学で教授を含めて教員になってくれる人を、有名な大学から求める傾向があったのです。

でも近年は各々の大学の出身者から教授を出そうとする、いわばナショナリズムの動きが強くなっています。学生や卒業生による大学評価が、あちこちで公表されています。種々の評価の中で常に上位を占めているのが、京都大と北海道大です。どちらも私の所属していた大学であり、誇り高く思っています。

もとより京都大は学生の自由度が高いことが、学生の評価を高めているようです。また北海道大は、大学キャンパスの広さが日本一であるという魅力もありますが、比較的入学しやすいことと、自由な校風も評価されているのかもしれません。その点では東北大も高い評価を受けていたように思います。

私自身も京都大の教室からはじめ、その後北海道大に招かれました。当時の北海道大には、東京大出身の教授が数名おられました。着任後地道に研究業績を上げて、教室員をしっかり育てておられる先生もおられました。他方着任後はあまり実績を作らず、学内の研究体制の不備やスケールの小ささを、批判ばかりしている方もおられました。

私自身は、研究・教育の効果を挙げられるように、着任後必死で活動しました。そのことが評価されたのでしょうか。それからしばらくは、東京大よりは京都大から数名の方々を招いて下さいました。その後は次第に同じ大学出身の方を、教授職につけようとする傾向が強くなってきているようです。

地方の大学でも新設大学でも、また私立大学でも、自分の大学出身者を大切にして、教授にまで育てる傾向が強くなっています。要点は着任した大学にいかに愛情を注いで尽力することができるか、が大切だと思います。

このナショナリズムの傾向は、この数十年多くの大学で、次第に強くなっています。また今後もしばらくは継続するのではないか、と予想されます。

その意味では、以前のように古く歴史のある大学医学部と、新設あるいは地方の大学との格差は、少なくなっていると言えるかもしれません。地方の大学でも卒業後努力をすれば、満足できるポストに着任できる、ということです。