第一章 阿梅という少女
八
片倉家の馬印は白地に黒い梵鐘。国中に武名を轟かせ、敵味方を問わず、戦死者の霊を慰めるという思いで考案されたものと聞いている。
重綱さまは伊達陸奥守政宗さまからはもとより、公方さまからも望外のお褒めにあずかり、感状と愛蔵の金扇は公方さま手ずから下されたという。「伊達陸奥守はよき家臣をもたれた。重綱よ、そちは伊達の鬼じゃ」と「鬼の小十郎重綱」の異称を賜った、というのである。
重綱さまは今や四方八方から誉めたたえられる、有名な武将におなりなのだから、父親のお殿さまの嘆きや不満などは、骨身に染みるというわけにはいかぬであろう。
お殿さまから重綱さまへの書状は、途中で紛失したり奪われたりする危険があり、本心をそのまま文字にすることははばかられたのだった。お殿さまが重綱さまの不足を口にされるたびに、わたくしは自分の落ち度を責められているような気がしてならなかった。
申し訳ございませんと胸の内でつぶやく。言葉に出したらお殿さまは、そちが謝ることはない、これはわしの独り言よ、とおっしゃって二度と口にされないような気がする。それも困る。なぜなら、お殿さまがせがれの愚痴を聞かせる相手は、自惚れかもしれないけれど、わたくし以外にはいないと思うから。
お殿さまの不満の根っこにあったものは、もしかしたら、わたくしがいまだに男子を産めないでいることではなかったのだろうか。やっと授かった子宝は女の子だった。だが他の腹にも子はない。重綱さまは三十二歳になられるのに、まだお世継ぎがいないのだ。
こたびの戦は伊達家の存亡をかけた戦ではなかった。言って見れば徳川への義理がけだ。もしかしたらお殿さまは、伊達さまが天下を狙うことを、まだまだ諦めてほしくなかったのかも知れない。そのときが来るまで、重綱さまには力を温存してほしかったのだ、そんな気がしてならなかった。
重綱さまに伝えたかった思いはたった一言、「徳川のために命を粗末にしてどうする」、だったのではないだろうか。