九
「おらほの殿さまは、伊達政宗さまが梵天丸と呼ばれておいでのご幼少のころから、ずうっとお側近くにお仕えなすって……」
ずんつぁんこと鈴木清之進どのが口を開いた。
「そう、知略縦横の名参謀!」
ずんつぁんが息継ぎするとき、毎度のことだが間髪を入れず話を横取りするのはずんつぁまだ。二人は若いころから今も息の合う相棒なのだ。
「豊臣、徳川といった天下人から、伊達に片倉小十郎景綱あり、とその働きぶりを羨まれたのっしゃ。公方さまから徳川の大名になれとお声がかかったのは、有名な話だよ」
「んだあ。太閤殿下の相馬田村領五万石の誘いを断った話も、胸がすかあっとするっちゃ」
ずんつぁんは、声を震わせる。
「あの当時、太閤殿下のお誘いを断るのは、はたの者から見たら、腹減ったときに出されたあんこ餅を断るようなものだったよ。太閤殿下は驚いたべねえ。まさか断られるとは思わねかったべよ」
ずんつぁまは天井を仰いで目を閉じ、首を振っては語るのだ。
「伊達さまに対するお気持ちが、終始揺るがねかったってことっしゃ」
ずんつぁまとずんつぁんは、今や数少なくなった片倉家の歴史の語り部であった。
天正十七(一五八九)年、磐梯山のふもと摺上原の合戦で、わたくしの実家針生家は本家蘆名の家もろともに、一万八千の伊達軍に敗れた。そのとき、ずんつぁまもずんつぁんも、片倉小十郎景綱さまの傍らにあったという。わたくしの一族の者たちは、散り散りに落人となってさすらった、と聞いている。
ではなぜわたくしが伊達家の家臣である片倉家に嫁入ってきたのか。それは、牢人となった父、針生盛直が、敵方だった伊達家の家士となったからである。そんな話は珍しくも不思議でもない。いつまでも敵だ味方だと言っていたら切りがない。
伊達家は鎌倉時代からつづくお家だから、古くからのご家来衆もおありだけれど、戦に敗れて牢人となり、縁あって伊達家の家士となったお家をいくらでも数えあげることができるのだ。
その合戦のとき伊達政宗さまは二十二歳、お殿さまは三十二歳、重綱さまは五歳におなりだったという。わたくしはまだ生まれてはいなかった。伊達さまが奥羽のすべてを平らげようとしていたこの時期、関白秀吉さまは九州を平定して天下統一に向かっていたのだった。