【前回の記事を読む】温泉旅館で1日8回入浴!? 連れまわされる子供「旅行が全然楽しくない…」

第二条「形を求めすぎない」

超変人? の父親

富士五湖に行った時の事を、Bさんは、こんなふうに言っていた。

朝食の前の早朝に、御主人は家族を湖岸につれ出しボートに乗ったという。Bさんはカナヅチ。子供たちも泳げない。皆、カナヅチで恐くていやだというのを無理矢理ボートに乗せて、こぎだしたのだということである。

「ボートをこぐのが好きなんでしょ」と私が言うと、Bさんは、

「それが、ヘタで、私たち、皆、ビショビショになって。それにすごくゆれて、子供たちも恐がって……」

「やっと岸に着いたら、今度はサイクリングに行くとか言うのよね。『こういう所に来たら、うんと楽しまなきゃいけないんだ』とか言って……」

「でも、ダーレもついて行かないから、結局、一人で行ってた」

「それから又、何かやってたけど、なにやっていたのか知らない」

Bさんの変な風に客観的な話が面白かったが、しかし、これは、ちょっとどうかな……と思う事に、こういう話があった。

B介君の話では、母親が料理がヘタなので、父親は夕食用にお刺身、寿司、唐揚げ等をたびたび買ってくるのだという。しかし、それは、自分の分だけなのだ。

「小さいあなたたちに分けないで、目の前で一人で食べるの?」と、私が、びっくりすると「一人で食べてる」と言う。

昔から、「乞食の前でも一人で食べるな」と言われている。見知らぬ人の前でも、周囲に勧めないで自分だけ物を食べるのは“いやしい人”とされているのだ。それなのに彼は、自分の分だけ買ってきて、幼いわが子に勧めもしないで自分一人で食べるというのである。

でも、B介君は、そういう父親を恨んでいなかった。「別に……。食べたくもないし」と。

そんな、こんな、しているうちに、B介君は英語の基礎学力もつき、やっと、作文が書けそうになって来た。自分と言う「核」のしっかりしていない子は「作文」ができない。自分に自信がなく、自分の考えている事や、体験を通して知った事に「価値がある」と考えられない子が、自己表現できないのは、自然な道筋である。

しかし、B介君は、次第に、見たこと聞いたことを通して、自分が考えた事に、「価値がある」と考えられるようになったのだ。だから、やっと、“つづり方”が始められたのである。