進学が可能?
そういうB介君の状態を見て、いよいよ進学が可能になったと、Bさんは考えるようになった。私は、このまま進学できたとしても、その後、B介君が職業に就けるとは思えなかった。
だから、Bさんには、「この子の問題は、単に勉強ができないという事ではなく、もっと根深いものだから、進学を考える前に一人暮らしをさせ、日常生活が自立的にやれるようにして、コンビニとかでバイトをさせたりする方がいい」と、進言した。
私の家の近くのアパートを借りて一人暮らしをさせ、又、知り合いのコンビニ経営者に頼んで、一人前の働きができないなら、普通より少額で良いから働かせてもらうようにしたらどうかと、勧めたのである。
「勉強も、続けてうちに来てもらうから。塾会費は払ってもらう形になるけど、家に泊まっていた時とおんなじに、お食事とかも面倒みてあげるから……」と。
目に見えないものにはお金を使わない父親
B介君の両親は、結果として、私の進言は受け付けなかった。アパートを借りたりして生活させるのは大きな出費である。しかも、それは大学生活などの「形」のあるものへの出費ではないのだ。
Bさんは、そうさせたくても、その時は自由になるお金は無かったので、夫の了承や賛成がなければ、どうにもならなかったのだろう。その夫という人は「目に見えるもの」しか信じない人なのである。そして、私の側にしては、何の利益も無く大きな負担になることだが、少しでも力になれたらという心からの進言であることを、受けとめられない人だったのだ。
B介君は明るくなり、何事にも、しっかりして来たが、まだ、「こうなりたい」とか、「このような自分でありたい」というまでには来ていなかったのである。
ともかく、小学校、中学校と、長い間「頭の中は真っ白」な日々をすごしていたのである。いじめられて心を小さくし、目立たないようにしていても周囲の同級生は向こうの気分次第で、いろいろな事をしかけてくるのだ。
小、中学生期は、人間形成の初期段階である。そこが、「学習」という面でも「友人関係」という面でも、大きく、歪んでいる――抜け落ちている――のである。一年やそこらで、完全に乗り越えられるようになるわけはない。
受け入れてくれる学校(大学や専門学校)があって、その中で何とかやっていけても、世の中で働けるようになるとは限らないのだ。学校というのは、生徒の側が、お金を払っている場である。世の中で働くということは「お金を払って貰う事」である。
この金銭上の主客の逆転は大きなものなのだ。学校で通用しても、世の中では通用しなくなる事がある。ましてや、学校生活さえ満足におくれない人に、社会生活ができるわけはないのだ。
だから、私は、形だけ学校に入れるよりも、親から離れて暮らさせてアルバイトなどを通して「こういう仕事はいやだ」とか、「僕にも、なんとか、こういう仕事ならやれる」とか「こういう仕事がやれたらなぁ……」とか、考えるようになることが、彼には必要であると考えたのだ。