第六条 「手塩にかける」

現実に「無いもの」が見える

学業以前、成績以前の問題としても、C子さんが「普通の子」「普通の学生」になれるように環境を変えなければならないのだ。

「お母さん、この、二、三年が勝負ですよ」

私は、かなりしつこくC子さんの母親に言った。この子の人生が、この、二、三年をどう生きるかにかかっているのだ。

又、両親は軽く考えているのか、何も考えていないのか分からないが、中学生から不登校になった子を持つなら、一生、その子を養ってゆかなければならないのだ。子の両親にとっても、深刻な事なのである。

Cさんの仕事にしても「働く姿を子供に見せたい」と言う割には、いつでも探せるような仕事なのだから、生活さえ成り立つなら、二、三年、休んでいても、それほど大きな違いはないと思われた。

それに、一度止めれば再び就けないような仕事を失うにしても、"子供の一生を失う"よりはましなのではないだろうか。

夫に死なれたり、私のようにフリーの仕事の夫が大病で倒れたりするような、何らかの理由で母親が一家の生計を支えなければならない事がある。

そのような事情が無いならば、子供は、せめて三才から五才位までは手元で育てなければ、大きくなってから学習上に問題が出てしまう可能性が高いのである。

どんなにお金を貯めても…

先日、新聞の保育所不足の問題の記事の中に、五ヵ月の子供の母親が「この子の将来のために働きたい」と言っているのを読んだ。おそらく将来かかるであろう学費を貯めるという意味であろう。

この母親は、生後、数ヵ月という幼い時期に他に預けてしまった時には、学習能力に欠陥を持ったり、意欲に問題を持ったりする子が育つリスクが、たいへん高いということを知らないのである。

そうなると、どんなにお金をかけても、どうにもならないのだ。たしかに言うまでもなく、子供を教育するためにはお金はかかる。