しかし、子供自身に「自分はこういう人間になりたい」「こういうことをやりたい」「こういう仕事につきたい」……という、意志・意欲がなければ、どんなにたくさんあってもお金は役に立たないのだ。

お金がなくても、強い願いを持っていれば事は成せる。反対に、お金があっても、お金そのものは「やりたいこと」「やりたい仕事」を生み出しはしない。

「見てる」「あきらめる」日々

お母さんにへばりついていたい時期の子供を、自分からはがして他所に預けるなら、母親とは心のつながりが薄くなってしまう。そのため、後ほど、いくら勉強をやらせようとしても、母親の言うことはきかなくなるという事が生じるのである。

しかも、ここで繰り返し述べているように、その子が「あきらめグセ」を強く持ってしまうと「難しい勉強」は、すぐにあきらめてしまい、やらなくなるのである。

このようなリスクを冒してまで、お金を稼ぐために乳幼児を他所に預けるのが、どんなにナンセンスな事か誰にでも分かる筈である。

いきいきと開いた心こそ、幼児の本来的な心の状態なのだ。それなのに、ここに述べたC子さんは保育所内では、いつもオモチャを横取りされたり、せっかく楽しく遊んでいるママゴトをメチャメチャに崩されたりしていたのである。

そのため「見てる」「あきらめてる」時間が長く、うっすらとした気持ちで幼児期をすごす他なかったのだ。そのため"心の薄い子"に育ってしまったのである。

そして、自分の想念が薄いと、何事にもガッチリと取り組めないし、理解しようとしないのである。

しかしながら、想念世界に入り込むクセやぼんやりと時間をすごすクセは、一緒に誰かがいて刺激をするなら、なんとか日常を生きれる位には悪化させないですむ。

幼い頃から欠落したものは完全には取り返せなくても、第二反抗期と言われる中二位より以前にはなんとか少しは手立てがあるのだ。