「ふたつの別れ」
初夏のよく晴れた朝にこんなことがあった。
僕が顔を洗っている時分、ワルツさんはこの季節お決まりの「島の下の骸骨どもが、ジュネを咲かせて、ドンチキチ、ドンチキチ」と鼻歌を歌い始めるはずなんだけど、歌わない。
いつもと様子が違う。
僕のほうが落ち着かなくなるほど、沈んでいる。
窓からはジュネの黄色の花の香りが流れてくる。
大きなくしゃみをして、ワルツさんはドカッと肘掛椅子に座った。僕はひょいとテーブルの上に飛び乗った。
思った通りだ。誰かから三通の手紙が届いている。
ワルツさんに届けられた手紙は手で梳いたパルプの生成りの封筒に、赤い蝋引きの封印がしてあった。アザミを刷り込んだ蝋引きの封印で、この手紙がスコットランドのものだってわかる。
ワルツさんは、この手紙を蝋も割らずに机の引き出しにしまってしまうに違いない。
いつもそうなんだ。
どうして読まないんだろう。僕はそんなことを考えながら耳の後ろを掻いた。
ワルツさんはその手紙をじっと眺め、引き出しにしまった。そして、椅子ごと、僕に向き合った。
「リュシアンよ」
「わしの身の上話はまだ途中までだったな」
「母親が死んだあと、父親は何もしゃべれなくなってしまった」
ワルツさんは深く息を吸い、それを吐いた。
「わしと妹が話しかけても、外に連れ出してみても無駄だった」
「一日中、胸に顎がつくほど頭を垂れたまま、ただ一度も話さなかった」
鍋を叩くこともやめ、食べることもままならなくなっていったそうだ。
「家財道具もすべて金に換えたんだがな」
先は聞きたくない、僕は耳の後ろをガジガジと搔いた。
「ある人に出会ったんだ」
「今にも空が泣き出しそうな夕暮れ時だった」
その時、ワルツさんは妹の手を引き、陽が傾き始めた街角に立ち、ふたりして歌を歌っていたという。錆にまみれた空き缶を足元に置いて。
「美しい人だった」
初めてワルツさんと妹を見たその女性は微笑みながらふたりに近づき、ワルツさんの手にそっと真っ赤な林檎を乗せ、その手を強く握りしめた。
ワルツさんたちはお礼を言うのも忘れ、林檎を片手に急いで父親のもとに帰った。真っ赤な林檎を半分父親に、残りの半分を妹と食べたくて、ワルツさんは妹の手を取り引きずるように急いだ。
急げば急ぐほど生唾がどんどん出てきて母親が死んで以来、初めて頬がほころんでいる自分を感じたそうだ。
「しかし、遅かったんだ」