第一部 銀の画鋲
「本屋の主人」
アトランティスのあったところ。
緑と豊かな大地が広がっているはずのアトランティスがあったといわれるその近くの「月の光に照らされた島」という島が僕のいる場所。
島で一番大きなニワトコの木の路地裏通り、シーバード通り43番地に佇む朽ちかけた木造りの本屋「サンキエム・セゾン」。フランス語で「五番目の季節」という意味。この本屋で僕はムッシュ・ワルツと暮らしている。
夏が近づくと島全体がジュネの黄金の花で溢れる。
ワルツさんはその季節になると、「島の下の骸骨どもがジュネを咲かせてドンチキチ、ドンチキチ……」と変な歌をうれしそうに歌うんだ。
ね、気持ち悪いだろ。
本屋の扉は森からそっくり持ってきたような緑色で、ひどく重たくて、開いたり閉じたりするたびにギィーって大きな音がする。誰かお客が来るたびに、僕の全身の毛が逆立つほどだ。
そんな時でも、ワルツさんはよだれを垂らしたまま眠り込んでいたり、丸縁眼鏡をかけて本をじっと読んだりしている。
じいさまだから耳が遠いんだな。
昨日の夜だってそうさ。
セイレーンの歌声と風と雨の音で眠れなくてカリカリと歯を鳴らしている僕の隣で、ワルツさんはドードー鳥になったみたいに眠り込んでいた。扉が開く気配がしてワルツさんの手を引っ搔いてみたけど、ワルツさんはドードー鳥のままだ。
そんな時にやってくる奴は頭のいかれた耳の遠い男か、プライドばかり高いヒステリーな金持ちオンナに違いない。
この嵐の夜、身構える僕の前に現れたのはびしょぬれの紳士だった。黒いマントからもシルクハットからも水がしたたり落ちてくる。ワルツさんが後生大事にしているレッドカーペットが台無しだ。