三 アメリカひとり旅
ラスベガスには、紙コップを持った人が二種類いる。一つは、ギャンブルに講じる人々。彼らの紙コップには、ルーレットやスロットで遣うお金が入っている。もう一つはホームレスの人々。彼らの紙コップには、通りを歩く人にお金を入れてもらうための入れ物。
カジノの中心街には、ホームレスが見られない。カジノのそれぞれのビルの前には、必ず数名のガードマンや警官が立っている。彼らが直接立ち退かせているのか、それとも彼らの来ているユニホームやその雰囲気で威圧感を持たせ、自然とホームレスはそこから離れて、薄暗いとおりにいるのか。
ラスベガスでは、ギャンブルを楽しんでいる人のほとんどが白人で、アジア系の人は観光客。そして、ホームレスのほとんどが黒人。ギャンブルをしている黒人など見当たらない。ここは、白人天国の街以外の何物でもないのか。アメリカという国はどうなっているんだ。なぜ白人ばかりがありあまる金を無駄に消費しているのか。この格差はいったい何なのか。
この国は、イエス・キリストの精神を忘れてしまったのか。
ラスベガスからセスナ機で「グランドキャニオン」へ行ってみた。「アメリカ人が一生に一度は訪れる観光スポット」といわれる。その形状は、コロラド川による数億年の歳月を経て出来上がった、まさに自然の一大彫刻だった。崖の一部から下を見ると、真っ暗がりの闇の中に引き込まれるような恐怖を感じた。そこのガイドによると、
「これまでここから四人の観光客が落ちた。」
と言っていた。
「そこに落ちたら、どうやって助けるんだよ。」
と思った。
「神がこしらえた地形。」
と言う人もいたが、
「神様がこんなことしちゃうの?」
と思った。何億という時を経ていまここにある自然と、われわれがいまここにいることを重ねて考えると、なんとも不思議な感覚だった。「不思議」という言葉の意味が、ここに来て少しわかったような気がした。われわれ人間には考えの及ばない、不可能な領域なのだろうか。神のみぞ知る不思議世界を少しだけ体感できたような気がした。