一 アメリカへのあこがれ

英語の勉強は中学時代から始まったが、実際に英語に触れたという感覚があるのは、小学校六年のときだったように思う。

母親が、「中学校から英語の勉強が始まるのだから、早めに英語を始めたほうがいい。」と言っていた。

このとき、教科書の内容に合った英語の教材を一揃い買ってもらった。そこには十数本かのリスニング用のカセットテープが含まれていた。とても新鮮な気持ちで、初めて目にする英単語を覚え、そのカセットを聴きながら発音練習をしていた記憶がある。

中学のまるまる三年間は、ひたすら単語を雑紙に書いては覚え、書いては覚えの繰り返しだった。そんな単調な勉強の中で、ときたま英語の先生が授業中に話してくれた、アメリカの話に関心を持った。

「アメリカ人やイギリス人は、日本人と全然違うんだなあ。」

という感想を持った。アメリカについて、このとき少し憧れのようなものを感じた。家が大きくて、おいしい物をたくさん食べて、休みの日にはいろいろなところへ出かけ、みんな生活をエンジョイしていていいなあと感じた。

高校でも、ひたすら英単語を覚え、そして基本文法を覚えた。この全く面白みのない、無味乾燥な勉強を続けることができたのは、アメリカ人やイギリス人に対する憧れみたいなものが、頭の片隅にあったからなのではないかと思う。でなかったら、そんな勉強など続かなかっただろう。そこで首の皮一枚かろうじて繋がっていたように思う。

高校三年生のとき、ある業者が開催する「ボキャブラリーコンテスト」という大学合格のための模試があった。そこで全国で十一位をとって喜んだことを今でも覚えている。しかし、その後大学へは現役で合格することはできなかった。