【前回の記事を読む】【旅行記コンテスト大賞作】出発前夜に食べた寿司の味は今でも忘れていない…
二 アメリカでの生活
四月、最初の派遣先は、アーカンソー州のリトルロックだった。手紙でその場所を初めて知ったとき、最初に出た言葉は、
「えっ、アーカンソー?」
「そこはアメリカなの?」
だった。
思わず、地図でその場所を確かめた。なんと、そこは「南部」だった。当時、「南部」といえば、「南北戦争」「黒人」というイメージしかなかった。
「えっ、そこで生きていけるのかなぁ。」と思った。
「そもそもどうやって行けばいいのだろうか。」というところから始まった。
学校の名前は「モリススクール」といった。それは、町の中心部から車で一時間ほどの田舎にあった。寄宿舎のあるカトリック系の小中学校だった。芝生の綺麗なレンガ造りの建物だった。そこで、ゲストハウスを与えられ、牧師らしい先生たちと食事をともにし、毎日授業を持たせてもらった。
学校の規則は厳しく、子どもたちは規則正しい生活をしていた。小学生なら普通は休み時間ともなれば、ワイワイ、ガヤガヤ、キャアキャアと走り回ったり、追い駆け回ったりする風景を思い描くが、ここの子どもたちは休み時間でも静かに過ごしていた。休憩室には自販機やビリヤードなどの遊具が置いてあり、基本的に自由に過ごしていた。
子どもたちは、家のこと、親のこと、勉強のこと、先生のことを思うままに話していた。ただ時間をつぶすだけのための、とりとめもない話のように聞こえた。