遙か遠くの峡谷を眺めていると、後ろから日本語が聞こえてきた。振り向くと、老夫婦がすぐ後ろにいた。こちらから声をかける前に、その老夫婦から声をかけられた。

「こんにちは。どちらからきはったのですか?」

と訊かれたので、

「群馬からです。」と、ろくに笑顔も見せずに答えると、

「えらい遠いとこからきはったのですねぇ」

と関心された。その老夫婦は、言うまでもなく大阪から来たのだった。

「距離的には僅かだが、大阪のほうが遠いぞ。」

とツッコミを入れたかった。

「子どもたちはもう独立して、少し時間とお金ができたから、前々からここに来てみたかったのです。」

と言う。三人で交わされた会話は、数億年の歳月を経て形成されてきた大自然のものとは、とても似つかわしくないものだったように思う。それでも、久しぶりに話した日本語をなんとなく懐かしく感じたひとときだった。

帰りのセスナ機の窓から見えるグランドキャニオンに、

「もう来ることはないだろうな、さようなら」

と別れを告げた。そのセスナ機は、いつ落ちてもおかしくないような、尋常でない揺れを続けながら飛んでいた。

 

ラスベガスに一度戻り、再び「グレイハウンドバス」に乗り、ニューメキシコ州アルバカーキーを経て、一路オクラホマ州オクラホマシティに向かった。なんとなくさみしい街だった。街を歩く人も少なく、たまにコーヒーカップを右手に持ちながら遠くを見つめて歩く人を見る。

 

一時間足らずの休憩の後、バスは出発した。テキサス州ダラスに着いた。南部を代表する近代都市だ。建物そのものが近代的だ。ガラス張りのビルがいくつも乱立していて、近寄りがたい感じがした。

「ダラス」といえば、一九六三年に「JFケネディ大統領」が非業の死を遂げた街だということは知っていた。そのときの映像は、日本のニュースでもよく見かけていた。

【前回の記事を読む】人々に愛されている…ロサンゼルス郊外に立つ芸術作品「ワッツタワー」に感銘