一、羊の群
その日、長安左さ街がいの永嘉坊を出た四騎の馬は、皇城の脇を通り春明門街を二刻余り西へ進み、世界中の珍品貴品が集まり、多種多様の物品を揃えた邸店が建ち並ぶ物流の拠点、右街西市の坊門を潜った。長安城内には左街に同様の東市があり、西域の胡人や異民族の商人が集まる二つ市場は、東西文化が錯綜し、人で溢れる活況を呈し、都・長安の経済を担っていた。
先頭の駿馬には目立たぬ商人の服装をしていたが、端正な顔立ちの青年が騎乗、残りの三頭には簡素な鞍を乗せた従者らしき男達が乗っていた。
長安城内は中央を南北に走る朱雀門街により左右対称の二つの県、万年県(左街)、長安県(右街)に別けられ、道筋は碁盤の目のように整然と走り、広い道路に囲まれた居住区画はそれぞれに異なった名が付けられ、四方を高い塀で囲い、塀の一箇所にだけ坊門を造って人の出入りを管理していた。
城内は国の役所、貴族や官吏、絶大な権力を掌握する宦官などの屋敷は、東側半分の左街の北に多く、西市のある右街には商人や一般大衆が多く住み、自由で庶民的な地域になっていた。四頭は背中に大きな荷を乗せた駱駝や驢馬、荷馬車の騒がしく行き来する間をたくみに通り抜け、西市中央に位置する市署の前で馬を止めた。
駿馬を降りた青年は、身の丈六尺に近く眼鼻立ちのはっきりとした顔付きの李徳裕、庶民と見紛う服を着けてはいたが、秀美な容貌は周囲からは浮き上がる存在に見えていた。手綱を従者に預けた李徳裕は、通りの向かいで玉石や銀器を並べる胡商の店々を、物珍しげに覗き歩き始めた。
胡商とは西域から来た胡人(主にペルシャ人)の商人のこと、東西交易の担い手としてシルクロードを行き来し、熱砂の砂漠を越えて西域から運んだ文物を長安の左街、右街に設置された物流拠点、東市、西市で商っていた。
胡人や遠来の異民族も左街より比較的規律が緩く同化し易い右街に居を構える者が多く、右街の西市を商いの場とする胡商が増え、西域からの文物も東市に較べ品数が多かった。従者は市署の役人に身分を明かして、幾らかの銭を握らせ馬の世話を命じると、人込みに紛れて見失いそうになる李徳裕を追いかけた。
市署は王朝が必要とする文物を仕入れ、不要となった物を売却する目的で造られたが、それ以外に秤(重さ)や升(量)に不正がなく、公平な商いが行われているか、禁制品を売っていないかなどを監督する役目があり、監視や治安維持のため市の中央となる場所に設置されていた。