第一章 阿梅という少女
六
伊達家から姫たちの着なくなったお衣装が何枚か下された。さすがに阿梅たち二人の顔にぱっと光がさしたようだった。どれもこれも、わたくしはこれまで一度も袖を通したこともないような華やかなものだった。
二人にはわたくしの一番若い着物に肩上げと腰上げをして着せていたが、十二歳の娘には地味すぎる。だが阿梅が着れば、あつらえたようによく似合うのだ。凛々しさと美しさを兼ね備えた美貌は、みなの目を見張らせるが、阿梅自身はその値打ちにまるで有難味を感じていないようであった。
わたくしが嫁入りのときに持ってきた長持の中の一生分の衣装は、どれもこれも年老いてからも着られるような地味なものばかりなのである。奥州という土地柄もあるのだろうが、武家は質朴なのだ。わたくしは華やかな小袖など持ったこともないし、着たこともなかった。さすがに伊達家は大大名である。姫たちは美しいお衣装で日々を過ごされるのであろう。
「娘らしい華やかなお衣装があるといいのだけれど、この奥州まではなかなか届かないのよ。阿梅はそんなお衣装を持っていたのでしょうね?」
「いいえ。九度山では一度も見たことがないのですが、大坂のお城の中ではきれいなお衣装のひとを何人かお見かけしました」
阿梅はくるくるとよく立ち働き、兄大助の遺したたっつけ袴を履いて皆を驚かせる。金襴や緞子のお衣装……。わたくしはおこうが聞き込んできた話をふと思い出した。江戸の日本橋という所に遊郭ができた、という話である。そこには美しい女たちが大勢集められているという。そして女たちは優劣をつけられ、いくつかの等級に分けられるというのだ。
武士の世上と似ているではないか。美しいだけでは最高位の太夫になることはできないのだそうだ。頭の良さが必要なのだとか。そしてすでに身につけた学問や遊芸があれば、その階級も高くなるという。最高位の太夫ともなると、登楼した大名とも歌を詠み交わし、水みず茎くきの跡もゆかしく文を書き、箏ことや三味線を弾き鳴らすことも巧みで、天女のような舞を舞って見せるというのである。