小松出身、色白、三十代半ばで「眉目秀麗」の山本さん、片や学生でもある雄太とは胸襟を開いてお付き合いができた。

宿舎から神楽坂までは、国鉄飯田橋西口を通過し、ゆるい坂の軽子坂を登る。料理屋の「鴨匠」までは歩いて十五分とかからない、お互いに若いからそんなに時間を要しなかった。宿舎は坂の上に建っていたから、神楽坂へ行く時の途中となる飯田橋駅へは下り専用だ。飯田橋駅から神楽坂へはまた上りだ。軽子坂は神楽坂と百メートルも離れていないで並行した坂だ。年月を刻んだ今の身体年齢となっては徒歩で二十分はかかるかもしれない。

議員宿舎は高台だ。番地は千代田区富士見町だからこの地からは昔、富士山が見えたのであろう。神楽坂の風景の外観は変わったがJR総武・中央線を取り巻く外堀は今も存在している。五十年経った今も昔の面影を残し、それほど変わってはいない。

但し、神楽坂の両側の店は大きく変わっている。かつては飲食店やパチンコ店が多かったが、今ではその面影すら残ってはいない。雄太が足繁く通ったパチンコ店マリー、パチンコで勝った時には神楽坂通りに面した生そば店「翁庵」で肉南蛮そば、板山葵、玉子焼、冷や奴にビール、日本酒と豪遊もできた。細い路地に向かえば料理店も昔ほど多くはないが、今もにぎわっている。

当時、雄太にはこういう先輩からのおごりが無い限り料亭とは縁がなかった。料亭の「鴨匠」は神楽坂では高級と呼べるものではない。奥座敷の料亭では予約を入れない限り一見の客は受け入れてくれなかった。

山本さんは過去に何度か利用していたので、突然訪れても女将が、間仕切りではあるが小部屋を用意してくれ、女中が部屋に案内してくれた。やはり山本さんが岡田議員と一緒に利用していたからだと推量できた。案内された部屋は間仕切りされた四畳半程の小部屋である。秋薔薇の一輪挿しが床の間に飾ってあった。

女中が山本さんに「お飲み物は何になさいますか」ときいてきたので山本さんは雄太に相談もしないで「そうだなあ、とりあえず瓶ビール二本と熱燗二本、銘柄は加賀鶴、別名「前田利家公」・やちや酒造があればいいな。それと湯豆腐と鴨メンチカツ、新じゃが、焼き鳥十本」

と一気に注文した。

女中は「〈加賀鶴〉があるかどうか分かりませんが」と注文の品を確認しながら微笑んだ。山本さんは「以前にも加賀鶴は頼んだことがあるよ」と付け加えた。

「さらにこの加賀鶴・前田利家公(特別純米)は創始者「神谷内屋仁右衛門」が加賀百万石の藩祖、前田利家公の酒造りのため尾張の国から移住。谷内屋の屋号とともに、加賀の国の「加賀」とめでたい「鶴」をつけた「加賀鶴」の酒銘とした名酒といわれる」との話に、雄太は「へえ! そんなお酒をいただけるなんてめったにありませんね」と畏まって正座した。

山本さんは「まあそんなに畏まらなくともお酒に変わりはないからね」と笑った。