最後は「一人称で正す」という点。
前段で出てきた事例「口の利き方を改めろ。『お客様』だろ、馬鹿者!」という箇所を「一人称」に変えてみます。
「俺だったら『客』なんてとても言えないな。いつもありがとうございます、というマインドを持ち続けていたいからね。俺は必ず『お客様』と言うように心掛けている」
こう言われた場合。
どちらの「指導」が、素直に受け入れられるか、自明の理ですね。この観点は「子育て」の術としてもよく語られるところ。つまり「これがダメ」「あれがダメ」という躾ではなく、
「こんなことをされると、お父さんは悲しいな、残念だな」だとか「もしお母さんがあんなことを言われたら、辛いな」などと「一人称の感情表現」で、その言動に対する自省を促すものです。初めて聞いた、という世のお父さんたち。皆さんの「俺も子育てには積極的に関わってきた」という自己申告は疑わしいかもしれませんよ(笑)。
「指導」や「叱責」を好き好んでするという人はあまりおられないと思いますが、相手を思えばこそ、外してはいけない大切なアクション。臆せず、最適な発動を心掛けてください。
もう一点、補足です。
もちろん推奨はしませんが、感情や怒鳴り声で「指導」「叱責」せざるを得ない場面もあるかもしれません。叱る側のキャラクターも影響します。激しい「指導」や「叱責」を発動するには、叱る側が何らかのルールを決めておくべきでしょう。
我々が決めていたルールは「同じ過ちを繰り返した」時、だけ。一回目の失策で「弱化子」「嫌子」を適切に発動できていなかった可能性もあります。まずは自らに指を向ける。適切に「弱化子」「嫌子」を発動していたとすれば、叱られる側の認識が甘かった、という判断になります。そんな時に限り「指導」「叱責」の強度を上げることが必要かもしれません。
広島市の平和記念公園の石碑にはこうあります。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」
「過ち」そのものは誰にでも起こり得ること。しかし、「繰り返す」のは罪深い。そんなことをキチンと伝えていくのも、親や上司といった「上位者」の役割だと思います。