「彼を取り合って負けたんですか?」

彼女は首を振った。

「そんなんじゃないです。清美さんはあの人が本気で好きだった人ではなかったんです。でも彼は彼女を振り払えなかった。清美さんは()き物でも憑いたように彼を追っかけ回していたわ。

一度こんなことがありました。寛二さんと私があの人の部屋で一緒にいた夜の十時ごろのことです。いえ、十時半を回っていたかもしれないわ。季節は初冬でみぞれが降る寒い夜でしたわ。でも清美さんは私が帰るまでアパートのドアの前でじっと立って待っていたんです。文句も言わず、ただ黙って……。

あとで彼は私に言いましたわ。『普通あんな目にあったら少しでもプライドのある女だったら怒って帰るよな。もうあなたとは終わりです、私にもプライドはあるわ、とか言って……ところがあいつは黙って待ち続けたんだ』。そう言って彼は大笑いしました。

私はその時は彼に夢中だったから一緒に笑っていたけれど、今になって考えると残酷ですよね。その後いろいろあって結局彼とは別れたんですけど、今は別れて良かったって思います。あのことがあって寛二さんは清美さんが彼なしでは生きていけないと思ったんじゃないでしょうか? あの夜の清美さんのことは今でも強烈に私の頭に焼き付いています」

「つまり妻になった女性がしがみついて離れなかったから別れられなかったというのですか? 同情で結婚したと?」

「まさに“しがみつく”というのがピッタリの表現だと思います。清美さんの気持ちは分かります。だって寛二さんは清美さんの持っていないものを全て持っていたんですもの。一方の清美さんは小柄で目立たなくて顔色も悪かった。献血でもしようものなら倒れそうな外見でね。ここだけの話ですけど、とにかく目立たない、パッとしない人でした。

寛二さんは気の毒な人を結局放っておけなかった。ああ見えても本当は優しい人でしたからね。あの人がいなければ寛二さんはもっと気の合う外交的な人と結婚して円満な結婚生活を築いていたんじゃないでしょうか」

「つまり斉田寛の結婚は円満ではなかったと?」

「ご夫婦のことは知りません。お付き合いがなかったから……でも斎藤さんが次々と浮気したのはきっと結婚生活に不満があったからじゃないですか?」

「次々と、と言うと斉田氏はそんなに女性関係が派手だったのですか?」

彼女は個人的に経緯を知っているわけではないと言葉を濁したが彼に関するゴシップ記事は熱心に読んだようである。彼女はどうやら鍵穴型の心臓を持った女らしい。ドアの鍵穴から他人の様子を覗き見て楽しむ悪趣味な同好会の一員と見える。

松野はたとえ結婚生活に不満がなくても浮気をする男は世の中にいると思ったが画面の女性には言わなかった。大学を出て三十年以上の年月が経っているはずだが、この女性の言葉尻にはかすかな嫉妬心が今でもチラホラと透けて見えた。

結局彼女は誰にも知られたくないと前置きをしたにもかかわらず、自分には花の青春時代があったことを人に知ってもらいたくてインタビューに応じたのではないかと松野は感じた。

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